薩長同盟と明治維新。
日曜の夜に欠かさず「龍馬伝」を見ている。番組は佳境にさしかかり、龍馬が成し遂げた偉業のひとつが物語として終了した。番組終了後、司馬遼太郎の「竜馬が行く」の第六巻「密約同盟」を読み返した。ちみなにリュウの字が違うことになんら意味はない。以下、文春文庫、「竜馬がゆく」新装版第9刷245頁からの引用。「筆者はこのぐたりのことを大げさでなく数年考えてつづけてきた。じつのところ、竜馬という若者を書こうと思い立ったのは、このくだりに関係があるといっていい。この当時、薩長連合というのは、竜馬の独創的構想ではなく、すでに薩長以外の志士たちのあいだでの常識となっていた。薩摩と長州が手をにぎれば、幕府は倒れる、というのは、たれしもが思った着想である。(中略)すでに公論である。(中略)しかししょせんは机上の論で、カトリックと新教諸派が合併すればキリスト教の大勢力ができる、とか、米国とソビエト連邦が握手すれば世界平和がきょうにでも成る、という議論にやや似ている。竜馬という若者は、その難事を最後の段階では、ただひとりで担当した。」と書かれている。明治維新の奇跡と呼ばれた「坂本龍馬」その偉業のひとつが、まさしく薩長同盟。ほかのアジア諸国では、明治維新と同等の近代化革命が、ことごとく失敗してしまったことは、歴史が証明している。奇跡とは、後生の人々により、語り継がれる言葉であり、当事者にとってはまったく関係のない、戯言かもしれない。そして福山雅治が演じる「龍馬伝」は、あの、暗殺へと向かうのではある。司馬遼太郎は、物語の終わり近くにこのような言葉を紡いでいる。「暗殺などは、たとえば交通事故と少しも変わらない。(中略)竜馬とはなんの縁もない。」ひとつの小説の終わりに、こんなに号泣したことは、記憶に新しい。是非、「龍馬伝」が、「竜馬が行く」を越えるエンディングに期待している。明治維新に関する考察はウィキペディアを参考にしていただきたい。