音楽グルメの流儀 特定の音楽家の一途で熱心なファンになることの弊害(山下達郎氏炎上事件)
音楽グルメという流儀 「ザ・ポップ宣言(仮題)岩谷宏」 7.特定の音楽家の一途で熱心なファンになることの弊害(山下達郎氏炎上事件) ジャニー喜多川による性加害問題に端を発した山下達郎氏のサンデー・ソングブックにおける発言は多くの長年のファンを失望させたようです。「もう彼の音楽が私の心に響くことはない」、「レコード、CDは全て処分した」などという声も見聞きします。私は山下達郎 サンデー・ソングブック(SSB)という専用ページを作って長年多くの関連記事を書くほど、DJとしての達郎氏を評価しているのですが、その第一回目DJとしての山下達郎 その偉大なる功績でも述べています通り、さほど達郎氏本人のファンという訳ではありません。私は中学生時代からロック雑誌を読み漁り、ロッキングオンの岩谷宏氏の著作をブログ名に関するほどのロック野郎でした。かつて達郎氏が「ロックで世界を変えるんだ!とか言ってるロックの連中を『何言ってやがるんだ』と冷笑していた」という発言を聞いて以来「達郎氏はロック的気概の無い人なんだな」と思いました。ある意味最初から冷めた視線で見続けてきた訳です。然しながら、SSBを聞いてるとなかなかいいことを言ったりするので、そのたびにブログで取り上げてきました。そこで今回の達郎氏の炎上事件について私が思うことを箇条書きにすると・そもそもロック的気概のある人ではないのでさほど驚かないし、期待していた訳でもないので失望も(大きくは)ない。・本来嫌いなはずのアイドル産業にすり寄ったのは、売れなきゃ駄目だし金がなければ良質な音楽を作り続けられないと思ったからだろう。・流石にSSBでオンエアしていない(=良曲と認めていない)ジャニーズのタレントを歯の浮くようなセリフで誉めるのは・・・。・極言すれば悪魔に魂を売ったからこそ、多くの歴史的名曲は生まれることが出来たのだろう。・多くのお抱えミュージシャンやスタッフを養うためにもジャニーズ事務所を非難する訳にはいかなかったのだろう。・今回の炎上は彼の多くの言動のうちの一つにしか過ぎず、良い言動もあれば悪い言動もある。ある意味平均的人間の所業。・この程度の言動一つでアーチスト本人は兎も角、好きだった音楽すら無かったものにするってのはちょっとね。といったところです。私も感謝してもしきれないほど恩を感じている音楽家の方がいますが、仮にその方がジャニー喜多川のような悪行を起こした場合、積極的にそのことを糾弾できるだろうか?と考えると全く自信がなく、それは多くの日本人にとっても同じなのではないかと思う。音楽家に限らず政治家や有名人などの不祥事や悪行を声高に糾弾する方は世に溢れかえっているけど、貴方や貴方の友人や恩人も同じ立場にたった時に同様のことを行ってしまうんじゃないの?その度に貴方はその友人や恩人と絶縁しちゃうの?現在の日本人の(人類の)レベルなんてそんなもんじゃないの?と思う。決して達郎氏を擁護する訳ではないけれど、こうした観点からすると達郎氏に極度に失望したり怒り狂ったり叱責している人を見ると違和感を感じてしまうのです。また、音楽の楽しみ方は人それぞれですが、【 達郎氏の音楽は素晴らしい→歌詞も素晴らしい→人間的にも素晴らしいに違いない→大ファンになる→コンサートで盛り上がる、一体感を感じる→グッズや限定盤などを買い漁る→新譜も延々追いかける→超常連になる(→達郎氏のことは全肯定、絶対視、いわゆる信者の領域へ)】なんて感じで深入りし、一途で熱心なファンになった方々にとって今回の達郎氏の言動は相当な裏切りと感じられたようで、入れ込んだ分だけその反動も大きく、だからこそ「もう彼の音楽が私の心に響くことはない」、「レコード、CDは全て処分した」などとなったのでしょうね。私はそこに「特定の音楽家のファンになることの弊害」というものを強く感じます。そもそも、ポップスにおける歌詞にはさほど大きな意味がないと思っているし、作っているアーチストも適当に心地よい、耳障りの良い言葉を並べているだけだと思っている。(もちろんそれで良い)歌詞に溢れる「愛」や「正義」なんて言葉も99%が他愛のないものだと思っている。メロディや歌声もしかり。優しい歌声で感動的な愛の世界を歌ったところで、当たり前だがその人が徳の高い慈愛に満ちた人物である訳ではない。そこは作り物の張りぼての世界であると、きちっと客観視し対象化することが必要だし、作り物の曲と生身の人間を同一視しちゃうから今回のような事態になるのだと思う。もちろん「特定の音楽家の一途で熱心なファンになること」で得られるものも多いでしょうし、そういう人たちの存在があってこそ(お金を落としてこそ)音楽産業が成り立っているのですから、同じ音楽を趣味とする者として一定の尊重をしています。ですがそれは音楽グルメの流儀とは真っ向から対立するものです。(加えて言うならロック的でも岩谷宏的ポップでもない。)もっと純粋に「作り物の曲」そのものをアーチストと切り離した単体として楽しまないともったいないと思うのです。当たり前ですが既に出来上がった楽曲が、誰かの何らかの言動によってその内容が変化することはありません。言うまでもなく達郎氏は国内最高峰かつ世界的にも高く評価される名曲を幾つも持っています。それら名曲の数々を今回の言動一つによって「無かったものにする」というのは音楽グルメの流儀ではないな、「特定の音楽家のファンになること」の弊害の一つだな、と思った次第です。(余談ですが、禁錮19年の判決のでた殺人犯であるフィルスペクターがプロデュースした「イマジン」がオリンピックの開会式で歌われることが恒例化しつつありますね。)ご参考:24.ロックな生き様