日本のバラの生産を考える、営利用バラ栽培の歴史とマジカルミラクル。
写真はマジカルミラクルと言う新しいタイプのバラです。このバラは四季咲きのバラで病害虫にかなり強いバラです。このバラの一番の特徴は、下の写真のようにローズヒップがたくさん付く、という事です。花が咲いたら切らずに枝を折り曲げてやるとたくさんのローズヒップがオレンジ色に実ります。折り曲げた所から新しい芽が出て花も楽しめ、両方観賞できたり利用できたりしてとても面白いバラです。詳しい事は、ザ・ローズショップまで。日本の営利用のバラ栽培の将来を考える上で、その歴史を簡単に振り返りたいと思います。栽培用のバラ生産の歴史は、当ザ・ローズショップの親会社、長野ローズの社歴と現会長と私のバラ栽培の歴史と同時平行的に進行してきました。つまり私達の歴史が日本のバラ栽培の歴史そのものといえるでしょう。日本の営利用のバラ栽培は、戦後まもなく本格的に始まりました。この時代に当社会長もキクの栽培、カーネーションの栽培を経てバラの栽培を始めました。勿論、露地栽培で年に3回ほど切れればいいほうでした。話に聞くと、国に出すお米を他の農家から買ってまで花を栽培したそうです。きっと花の栽培は儲かったのでしょう。花の栽培の中でもバラの花はとても珍しい上に生産農家も少なかったので、どんな品質でも飛ぶように市場で売れたようです。そのうちバラの生産者も増え(当たり前ですが儲かれば皆真似します)、より品質のいいもの、花のないときでも栽培しよう、と施設栽培が始まりました。ビニールの簡単なハウスから始まり昭和40年ごろからは本格的な大型温室に移行してきました(当社の創立もこの時期です)。設備にお金をかけて面積を大きくすればするほど儲かる、という時代に突入したのです。オイルショックを受けながらも、立派な施設を造って一年中バラ栽培をしていれば生活には困らない、という時代です。国も補助金をどんどん出し日本中に大型温室が乱立しました。バブル景気も手伝い市場で一本1000円のバラが一本10000円で売られる、という嘘みたいな時代です。とにかくどんなバラを作っても売れたのです。その後は、皆さんご存知のバブル崩壊です。バラ業界も例外ではありませんでした。設備投資を回収していた生産者は良かったのですが、回収の遅れた生産者はこの時に離農せざるを得ませんでした。バラ栽培農家の最初の敗北でした。ただこの時はまだまだ輸入の脅威は実感できない上に、大規模に生産しているバラ生産者も多くなかったので、何とか自分達の手間や手持ちの資金で乗り越えた生産者もたくさんいたのでした。何とか乗り越えてきたバラの生産者ですが、ここ2,3年の状況は今までにない大きな地殻変動です。今迄経験してきたことや知識は一切通用しなくなってきました。これからどうなってしまうのでしょう?