個性も、基礎があってのことだよね
この数年間、本当に色々なことが続いたが、そこから私が考えたこと。「基礎がしっかりした上での、個の表現」私は、いつもきらり輝く人間でいたい。と思っている。でも、今の私がきらり輝く人?とは、まだまだ思えないその基盤をつくっている発展途上段階。パソコンだって、まだ自由自在にあやつれないし。まだまだ他人と、しっかりとした会話だってできていない。話し方もつっかえてしまう。電話も緊張。人前で話すと緊張してしまう。きらり輝くを、勘違いしていた時期が長かったツケかな。・苦しい・疲れた・つらいそれを、他人にあえて過剰に表現することで、周囲の人を、なんとか、振り向かせようとしていた時期が長かったから。そのつらさは、大人になるため、現実と折り合うために必要なつらさだったと、今考えたら思う。現実と折り合うことは、生き抜くための基礎時代や環境によって、何に折り合うか、何に適応すべきかは、かなり異なるが、それは、誰もが乗り越えなければいけないことだと思う。でもそのつらさを、あえて表現してしまったら、周りの人だって、助けたくても助けられず、無力感を感じて、苦しんでしまうでしょう。そしてその時期に学ぶべきことを、学びそこねる結果になって、今となって、すごくあわてているのが、現在の私。つらいときには、どこかでこぼすことは、とても大切。でも、こぼす場所を考えよう。たとえば、カウンセリングに行くとかお金かかるけど、エステや美顔に行くとかブログ上では、つらいという言葉、あまり頻繁に使わないようにしよう。それは、誰が見ているかわからないし、あまり毎回つらいつらいと言ってると、読んでいるほうも、つらくなるに違いないから。今年もじっくり成長します発展途上の私ですが、今年も応援お願いいたしますでも時々、愚痴も書かせていただこうかな・・・。