人のために生きるということ。
8月10日の日記に書きかけた、歌の先生の話をしましょう。【もくじ】A◇先生の名言について。~「私は人のために生きている」と考えることの効用~B◇先生のカイロプラクティックの免許について。~朔夜67の覚書~-------A◇先生の名言について。~「私は人のために生きている」と考えることの効用~◆前回レッスン時(8月2日)の先生の名言。あ「僕は、自分は人のために生きていると思っています。」い「芸術家とは、人のために生きる人です。」う「歌とは、人に聴いてもらうためにあるものです。」発言順はう→い→あ。【「歌とは、人に聴いてもらうためにあるものです。」】ひとまず自分で唄って楽しむために始めた私の歌のレッスン。「初めはそれでもいいのだが、もう一歩踏み込んで上手くなろうと思うなら、上記の発想を持たなければならないよ」と私をいましめた先生の言葉。これは具体的なことにも直結していて、・遠くの人にも聞こえるように大きな声で歌うこと(声を大きくしようと思うのではなく息を沢山出せば声は大きくなる)・遠くからでも歌詞がわかるように子音をはっきりと立てて唄うことなどにかかわります。----------その延長で、「い」の発言。【「芸術家とは、人のために生きる人です。」】芸術家は人の思うことなど気にせず、自分の信じた美を追求するもの(一般に)だと思っていました。そう私が話すと、例えば「生きているときには認められず、死してのち大いに脚光を浴びた芸術家。」この人は、「後世の人のため」にその作品を残したんだよ、というお話です。芸術家は美の神に自分の生涯を捧げたといいますが、その神とは「自分以外の他者たちすべて、あるいは他者たちの一部」にあたるということ。なるほど、たしかにそのように考えることもできるのだと思いました。-------------そして先生の「あ」の言葉。私は先生の事を、自分の思うままに、のびのびと好きなことをして暮らして居られるように(失礼ながら)お見受けしていました。しかし、それは人のために役に立てるように、今の自分を磨くという発想。先生曰く、~「私は人のために生きている」と考えることの効用~は こうでした。「人から何か頼まれたときに気持ちよく(それを)やってあげられるし、人からしてもらったときにも自然に感謝の念が沸いてくるからね~だから僕はそう(=自分は人のために生きている、と)考えて暮らすことにしているんだよ。」とのことでした。------------余談ですが、「自分のために生きる」「人のために生きる」というのは表裏一体なのだと思いました。師匠(クラモトケイゾウさん)も自分のために生きつつ人のために生きている人だな~と感じます。-------------B◇先生のカイロプラクティックの免許について。~朔夜67の覚書~◆私の歌の先生は、カイロプラクティック施術者の免許を持っています。歌の練習に行くと、「声が硬いな…このへんが固まっているのでは…?」と、首の下あたりや肩や頬や背中などを随時マッサージして下さいます。(数十秒ほど)マッサージ後は、声がよく出るようになっています。「今、声がよく出た状態を覚えてね。覚えたら、マッサージなしでも同じ声が再現できるようになるよ。」と言われます。最良の状態を体が記憶すると、次からは自然に体の同じ場所がゆるみ、良い声が出せる仕組みです。実際、良い声が出せたときと「同じ曲」を歌うと、調子が悪いときでも調子が戻って良い声になることがあるそうです。(談:私に先生を紹介してくれた歌の先輩)-------◆先生が見立てた朔夜67の身体構造特徴(主に、ハンデ箇所)【※自分の覚書として】1・首の(第3?)頚椎がほんの少し曲がっており、首が前に出やすい。…小学3年生の体育の時、後ろ周りで失敗して首を捻挫したことを引きずっているのかも。2・左肩甲骨がほんの少し肋骨に食い込んでいる。…5年ほど前まで、荷物は全て左肩に担ぐ癖があったためか。剣道部(中学時代)、スピードスケート部(大学時代)に所属していた時は、特に荷物が重かった。私が日々 立ち方、左右の歪みの改善をしようと考えているのはこのあたりにルーツがあったかもしれませんね。立ち方→1左右の歪み→2に対応。しかし、これらの特徴があったおかげで、PQについて深く関心をもつことができた、とも言えると思います。感謝。