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カテゴリ:タイガース背番号史
背番号26(その6) お久しぶりって感じかな?いろいろ忙しさに追われてましてブランクができてるのでお詫びです 合間に少しでもと思い今日久々のアップです 第5回で紹介した根本隆輝さんは半年ほどしか「26」を着けてなくて すぐ「37」に変えちゃったんだけど それは新外国人投手に譲ったからなのよね それが今回一人目に紹介するカーライル投手 実はこの選手も2年しか着けてないよ そのあとの江草さんが比較的長くて9年着けてるわね 今回はこの2名の選手を紹介します バディ・カーライル 投手 アメリカ合衆国ネブラスカ州の出身。高卒ながら1996(平成8)年のドラフト2巡目でシンシナティ・レッズから指名された右投げ左打ちの投手で、将来が期待されていたようだ。 レッズ傘下には2年在籍したが、1998(平成10)年4月にサンディエゴ・パドレスにトレードされる。パドレスには2000(平成12)年まで在籍しており、1999(平成11)年にメジャーに昇格し7試合に先発、1勝3敗の数字が残る。 野村監督の3年目に当たる2001(平成13)年にタイガースへ入団、190センチの長身から投げ下ろすストレートは威力があり、まだ24歳という若さも魅力で、先発ローテーションの一角を任される。 登板した28試合のうち26試合に先発しており、7勝10敗と負け越したが防御率は3.87なので打ち込まれたという感じではなかった。 2002(平成14)年に星野監督が就任しても残留している。しかし、この年にはマーク・バルデスとトレイ・ムーアが新たに加入して好く働いた上に、カーライルは完全に調子を落としてファーム暮らしとなってしまい、ウェスタンでは9勝5敗で防御率2.22と活躍したが、一軍ではわずか3試合しか登板がなく0勝2敗で防御率7.53の成績に終わって解雇された。 タイガースでの成績は31試合7勝12敗、167回2/3を投げて69四球124奪三振、自責点78で防御率は4.19だった。 この後は短い期間で多くの球団を渡り歩いている。 2003(平成15)年にはアメリカに戻ってカンザスシティ・ロイヤルズ、2004(平成16)~2005(平成17)年はロサンゼルス・ドジャース、2006(平成18)年には韓国のLGツインズ、2007(平成19)年~2009(平成21)年はアトランタ・ブレーブスと忙しい。 2010(平成22)年には日本ハム・ファイターズに入団してNPBに復帰してみたが7試合0勝3敗に終わって1年で解雇されてまたアメリカに戻る。 2011(平成23)年はニューヨーク・ヤンキース、2012(平成24)年はブレーブスに復帰、2013(平成25)年はトロント・ブルージェイズ、2014(平成26)年から3年間はニューヨーク・メッツで過ごし2015(平成27)年に引退した。 メジャー通算では実働9年で13勝13敗8ホールド、防御率5.14の記録を残している。 江草 仁貴(ひろたか) 投手 広島県福山市出身で高校は地元の盈進高校。高校時代からバランスのいい綺麗なフォームでキレのあるストレートを投げ込み安定感のある投手だった。三振が取れるのも特徴で、3年時の夏の地区予選では31回を投げて42三振を奪っている。 甲子園とは縁がなく専修大学へ進学したものの当時は2部リーグ。4年生の春に5勝0敗の好成績で2部リーグMVPとなり、1部リーグ昇格の原動力になって注目された。 2002(平成14)年のドラフト会議では自由獲得枠でタイガースへ入団し、前年までカーライルが着けていた背番号「26」を引き継いだ。 1年目の2003(平成15)年は、大学時代の試合で打球を受けた腕の怪我の回復に時間がかかり、1軍では1試合しか登板がない。ファームでは後半戦でようやく投げることができ、11試合で5勝1敗、防御率3.07と内容もよかった。 2年目の2004(平成16)年から岡田監督が就任し、9試合で先発も1試合経験する。勝ち負けは無かったが防御率は2.76と感触をつかんだ。 続く2005(平成17)年はリーグ優勝の年だったが、江草は51試合すべてリリーフ登板でシーズンを通して安定した投球を見せ、優勝への貢献度は高い。70回2/3を投げて4勝3敗6ホールド、28四球74奪三振、防御率は2.67という素晴らしい内容だった。 ただし日本シリーズでは第2戦でベニーの打席で3つのワイルドピッチという不名誉な新記録を打ち立てるなど活躍できずに終わっている。 2006(平成18)年は台所事情から先発への転向も経験した。36試合の登板で12試合に先発しており、5勝6敗5ホールド。 2007(平成19)年は再び中継ぎ専門に戻り50試合にすべてリリーフで登板している。この年が江草のキャリア中最高の成績で、5勝0敗5ホールド、60回で82個の三振を奪うなど切れ味抜群で、防御率は1.95と冴えわたっている。 その後もすべてリリーフで過ごしているが、2008(平成20)年が55試合3勝1敗9ホールド防御率2.78、2009(平成21)年は62試合4勝5敗11ホールドで防御率2.71と非常に安定しており、JFKに注目が集まる中で江草の貢献度も高かった。 5年にわたる酷使が影響したのか、2010(平成22)年になると突然それまで145キロ前後で安定していたストレートが、130キロ程度しか出なくなって低迷してしまう。21試合1勝0敗2ホールドに終わり、翌2011(平成23)年の5月に黒瀬春樹との交換トレードで西武ライオンズへ法主されてしまう。これにはタイガースファンからも不満の声が多く惜しまれての移籍となった。 一応タイガースでは在籍9年にわたって背番号「26」を着け続けたことになる。 西武では2011年を過ごしただけで、2012(平成24)年から2017(平成28)年までの6年間は生まれ故郷である広島東洋カープに移ってプレーしている。 カープでもすべて中継ぎとして登板しているが、1年目こそ26試合に使われたものの、翌年からの4年は1桁の登板しかない。トミー・ジョン手術も受けたが復活はできず、2017年は1軍登板がないままシーズン終了直前に引退を表明している。 2022(令和4)年からタイガースへ復帰、ファーム投手コーチとして若手投手の指導に当たっている。 プロ通算成績は349試合22勝17敗48ホールド、442回1/3を投げて226四球433奪三振、自責点155防御率3.15である。 まとめ カーライル投手はかなり有望な感じだったらしいよ 2年目はもっと優秀な助っ人投手が入団してきたのではじき出されてしまったようね それにしてもたくさんの球団を渡り歩いてるなあ 友達出来る間もなく移籍を続けてるって感じよね 江草さんはいつもファームの試合を観に行くとお見掛けしますね 若い人と一緒になって汗をかきながら経験を伝授されてます 改めて成績を見るとすごいんだよね 活躍のピークは5年間ほどなんだけど ロングリリーフもできるし同点やビハインドの時も行ってくれるから JFKの活躍も陰に江草さんがいてくれてこそだってわかるのよ 過去の写真や映像を見てもフォームに無理がなく美しい感じね タイガース時代は投球回数を上回る三振を取ってる 先代の評価を聞いてみると 同じ左投手では杉本正投手(西武など)や石川雅則投手(ヤクルト)などに感じが似てるけど 江草さんのほうがもう少し躍動感があったんだって 26の7につづく
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