自分の生きた瞬間をとどめ続ける ~ 河原温
「I got up at」シリーズ 1968-79年これも、同じく現代美術館で見てきたmotコレクションのなかで出会った衝撃的な、作品。河原温さん。写真葉書のウラに「I GOT UP AT 10.08.A.M」と、起床した時間をハンコで押してただ送る。送り続ける。毎日2通、それぞれ別の人に宛てて、およそ10年の間。もう1つ別の作品では(これは写真なかった)「I AM STILL ALIVE」とだけ打った電報を、時折、さまざまな人に宛てて打つ。打ち続ける。もう1つ別の作品は(これも写真なし。見に行ってみて)「19,220日100年カレンダー」というタイトルで、20世紀のすべての日付を一覧にした100年カレンダーをつくって、作者 河原温さんが生きている日付には黄色いマーカー、1つ作品を制作した日は緑、2つ以上なら赤。これも記し続ける。ほかの作品はココでも見れます。===いま、コーチングを受けているのですが、(まだ途中だから、ぜんぜんハッキリしたヴィジョンじゃないけど)わたしはどうも、カタチに残す、とどめる、ということに、すごくコダワリがあるようで、特に、文字、手紙、という性質にもコダワリがあるのです。(そう思うと、編集っていう仕事は客観的に見ても、実は合っているのかもなあ)なので、ああ、なんだ、(とは失礼ですよね、ごめんなさい。でも正直な感想)単純に、残す、ということだけにこだわって、続けていけば、それはアートになったり、誰かのココロに響いたりするんだー!という、新たな発見がありました。これは、ほんとビックリ。そして、同時に、自分が意思を持って残していかない限り何年も、何十年も、何百年も、自分が生きた証ってじつは残らないんだろうなあ、と儚くも思いました。表現すること、って、表現できることって、すごく素敵ね。いっぽうでそれらを「続けること」「自ら意思を持って続けること」の大切さと難しさをひしひしと感じています。会社という枠にいて、決まった時間にいけば居場所があって、仲間もいて、という環境はある意味とても幸せ。でもある意味、自分が分からなくもなる。おやすみをいただいて、意思を持って残し続ける、ことを自分からはじめた最近。また、文を書く意欲がふつふつと、湧いてきたのかも。と思います。まあ、何になるか分からないけど笑、タイムカプセルみたいな気持ちで、ずっと書いていよう。っと。