カテゴリ:すみれの思い
私の弟、バーニィ(猫)は推定生後3ヶ月・アル(猫)は推定生後2ヶ月で、
とある保健所の「不要動物の引き取り」に持ち込まれた。 その保健所が「できる限りどうぶつを殺したくない。助けたい」と 積極的に活動している数少ない施設だったことから、救護団体に引き渡され、 その団体でワクチンも去勢手術も済ませてもらって、父母の養子となったが、 もしも1件隣の保健所に持ち込まれていたら、もうこの世にいなかったはずだ。 保健所。 「いらない犬猫を持ち込むところ」の代名詞にもなっている。 (もちろん、本当は、それだけが業務ではないが) 最近では、犬猫に関わる業務については、保健所から独立して 「動物愛護センター」「動物指導センター」といった名称の施設があったりもする。 そこにどうぶつを持ち込むことが何を意味するのか、もう一度考えたい。 中には「里親さんを探してもらえる」と思っている方も、まだ多いようだ。 確かに、希望者への譲渡もこれらの施設で行われていることがあるが、 そうしてもらえるどうぶつは、ごく少数だ。 たまたま、持ち込まれたどうぶつの年齢が里親探しの会に出るのに適していて、 運良くそれに選ばれたときだけ、生き延びることができる。 「保健所に連れて行けば別の人に飼ってもらえる」のは、幸運な例外にすぎない。 今では、そこに持ち込まれたどうぶつが原則として生きては出られないことは、 広く知られるようになってきた。 が、どうぶつたちが「安楽死」させられるという“誤解”も根強い。 安楽死とは、できる限り苦痛のないように配慮された致死処置のこと。 例えば、私すみれ(馬)の主治医の場合、3本の注射を用いる。 まず、これから行われる処置で苦しまぬよう、意識をもうろうとさせる鎮静剤。 次に、劇薬による苦痛を感じさせないための麻酔薬。 そこまでしてから、初めて、死に至らしめる薬剤を注射される。 しかし、犬猫たちの「殺処分」には、苦痛を取り除く前処置は、ない。 彼らを待つのは、二酸化炭素での窒息にもがき苦しみながらの死である。 せめて使用されるガスが一酸化炭素ならば、窒息の前にガス中毒で意識をなくし、 苦しみだけは感じずに済むそうだが、一酸化炭素は、処置を行う人間を 危険にさらす、という理由で、使用されないことになっているそうだ。 あくまで人間の側の事情を重視した手順で、犬猫たちは殺されていく。 どうか、「保健所に連れて行く」という言葉を、安易に口にしないで欲しい。 ましてや、それを実行することは、どうか考え直して欲しい。 引っ越すから…苦情が来たから…子どもが生まれたから… 事情はもちろんあると思う。けれど、それは一つのいのちをもがき苦しんだ末の 死に追いやるだけの、やむない事情だろうか? 他に解決策はないのだろうか? 奪われたいのちは、戻ってこない。それを忘れないで欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 20, 2005 12:05:49 AM
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