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テーマ:歴史研究(36)
カテゴリ:歴史研究
【史料の解析】 これは高いところからある村があった当たりを撮った写真です。この場所がどこかを会津の方の中にはお判りになる方がいらっしゃるだろうと思いますが、この村に関して、『文禄三年蒲生家高目録』と『寛文風土記』ろ『会津鑑』と『新編会津風土記』を比べてみて下さい。小生がデータベースを作ったのは、こうしたことを瞬時に調べることが出来るようになるためです。 パソコンが普及して、こうしたことをするのが非常に便利になりました。今もデータベースをディスプレイ上に読み出して、それを参考にして書いています。パソコンがなければ、本を何冊もデスクやサイドテーブルに並べなければなりません。学生時代に論文を書いた時には、炬燵の上に本を並べ、両サイドに辞典類を積み上げてしていた作業が、いまデスクの上にあるのは、パソコンと辞典類だけです。 しかし、史料からだけではまったく見えなかったことが、この村があったところに残っているものから見えはじめていた時に、ある立て看板が新しく建てられているのを教えられて、それを見たあとで、かつてこの村に住んでいらっしゃった方から、色々なお話をお伺いすることが出来たことで、この村の歴史がはっきりと見えてきました。 因みに、この谷間にあった村ですが、『会津鑑』(1789)にある石高を、『新編会津風土記』(1809)にある家数で割ると、一軒当たりの石高が10石を超えます。山間の村としては、非常に大きな数字です。そして、データベースを作った時に不思議に思えたことが、伊那谷や旧高遠藩領内を巡って、すべて解決しました。複数の史料を精査している時に、史料間に相異が見つかることがあります。以前の歴史学では、どちらの史料が正確かを、誰が編纂したか、どういう目的で編纂されたかを考えて、蓋然性に優劣を付けましたが、19世紀にヨーロッパで始まった「本文批評」という古文書の解析方法は、20世紀に飛躍的に進歩しました。以前であれば、『新編会津風土記』は幕府に提出された風土記であるから、偽りは記されていないと考えて、『新編会津風土記』を基準にしたと考えられますが、小生はそうした考え方をしません。残されたモノやコトから見えてくることを非常に大事にしてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.03 16:06:15
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