「今」の私と子ども達。。
2月末で仕事を辞めました。新しい私のスタートです。10年ほどまえいろんな事情で離婚をして働きはじめましたが、別れた夫とはパートナーとして生きていました。その夫とも本当の意味で決別した4年前にフルで働きはじめました。そして新しいスタートを意識し仕事を辞めました。シングルで子ども3人(長女はこの春から社会人です)いるのでかなり焦りますが、新しいスタートの証に大掃除と私の内側の整理をしています。と言うとなんだか綺麗に聞こえますが、のんびりゆるゆると過ごしています。押入れの整理をはじめ、捨てまくりました。たいした物はないのですが、思い出をとっておく自分の性質に驚きました。ひとつのダンボールから中学時代から様々なことを書き溜めていたノードが数十冊かわいい箱からは授業中にまわしていた手紙の数々。。生徒手帳や行った先のチケットやら、恥ずかしくなるような代物が続々と。。それもきちんと整理されて納められている。とても懐かしく、その時の気持ちや情景も浮かぶものばかりで自分が忘れていた「私」がそこには居ました。今の自分の記憶はなんとま~当てになりません。。今の自分の記憶は記憶ではなく、今の自分なんだと認識しました。それが分かったので、もう必要ない気がして潔く捨てました。過去に対する記憶は、今の私が作り出したものなんだな~とだから、本当はどうだったのかなんて分からない。もうね、今をそして未来を一瞬一瞬創造することが私のできること。それも、楽しくて豊かな未来にむけて創造する。それがいいんだと思いました。セラピストをしているので、インナーチャイルドを癒すとか過去の未消化の感情を体験して浄化することをしていますがそれらは、子どもの頃でも過去のものでものなく今の私の気持ちの浄化なんですね。そこに今フォーカスしたいのか、したくないのか。あるのかないのかは、自分の選択しだいです。あると選択すれば、それらを取り組み扱うことになるしないと選択すれば、それらはなかったことになる。人が生きるなかで必要なときに、感情と向き合うことは避けられませんがその向き合い方は人それぞれです。現在の事象として向き合うことを選択する人。過去の感情として向き合うことを選択する人。どっちでもいい。どっちみち同じものを体験し経験するから。私は今まで過去の自分事として取り組んできました。それは、押入れにしまっていたように自分の過去を大事にとっておきたい人だったのだと気が付きました。今まで取り組んできたことは私の深い深い学びとして私の中に息づいています。これらは、私にとっては必要な学びであり私の今後のベースになると知っています。でもこれからは、自分を創造することを通して直面する事象に取り組もうと決めました。押入れの大掃除で自分に気付き、エイッと次へ進む私の背中を押されました。過去の私も私だけれど、私は「今」にしか生きていない。そう思えるのが、今の私にとってはとても軽くていい感じです。そう、だから子どもたちも「今」の彼女や彼をみよう。過去の彼女や彼はもはや彼女や彼じゃない。自分ですらそうなんだから、他人の子ども達はなおさらです。「今」私の目の前にいる子ども達、「今」会話する子ども達が全てで、明日にはまた違う子ども達がそこにいるんです。