命を教えてくれた
我が家の愛犬あくびこと、アクちゃんが、先週の日曜日(17日)の10時30分に亡くなりました。ガンでした。今年の12月で10歳になるところだったから、ラブラドールレトリバーのような大型犬は、もうすっかり高齢だと認識はしていたけど・・・私がりっちを出産し、アクちゃんが訓練所(いつも留守の時に預けている)から帰ってきて、ようやく家族全員が揃い、新しい生活がスタートしたころでした。左の頬が腫れていると気づき、上唇をびろんと開いてみると、そこには大きなデキモノが。でも何だか見た目が、ただのデキモノじゃないなと思いました。「ムカデに刺された?痛くないの?」パパに病院へ行ってもらって、それは予想もしていなかった結果、口腔内に出来た腫瘍は、一番たちの悪いガンでした。転移も早いし、年内もつかどうか。という事でした。でも、目の前にいるのはいつものアクちゃんで実感がまだまだなかったです。診断を受けたのが確か、7月の終わりか8月の頭。3ヶ月ほどで、本当にアクちゃんは亡くなってしまいました。最後の10日間は、一番苦しかったと思います。でも、歩いていたし、トイレも外で頑張っていました。水も飲めない、何も口に出来ない状態が続いて、見ていて本当に辛かったです。アクちゃんは何にも言わないし、ただ家の中の端っこのほうで伏せていました。亡くなった日は、朝でまだパパは寝ていて、家族全員家に居てみんなで看取ることができました。嘔吐したかのような音が聞こえて、また嘔吐したのかな。片付けに行かなきゃ。洗濯物を干してて、1,2分あいだが空いて、様子を見て、悲鳴に似た声で「パパ、パパ来て!!」と叫びました。吐血して首が横に倒れていました。無心で「アクちゃん!アクちゃん」と何度か叫びました。すると、ふっと顔がいつもの表情に戻り、意識もありました。そして、私のほうを振り向いたようでした。首が顔が動いたので。でも、すぐ意識が遠のいて、段々と命の火が消えかかっていることがわかりました。私、目の前で命が亡くなるのを見届けることが初めてでした。とても恐くて、悲しくて、辛いですね。ただただ泣きました。せなっちは、私が叫んでいたこと。アクちゃんが死んだ事実。吐血した後の姿にショックで泣いていました。意識がほとんど無い中、私の悲鳴に似た必死の呼びかけに、応えてくれたアクちゃん。この後の2,3日は思い出すと、胸が苦しくなって、呼吸が上手くできなくなるので、思い出さないようにしていました。でも、段々と思い出しても、大丈夫になりました。今でも、うちの中にアクちゃんが居ないことに慣れなくて、お料理していても、おこぼれを狙って現れると思ってしまうし、朝、起きると、嬉しくて駆け寄ってくるアクちゃんの姿が無く、まだまだぼっかり穴が開いた感じです。アクちゃんは、同じ愛犬家の友人から教えてもらった動物の供養をしてくださるお寺にお願いして、合同で火葬とお墓に入れてもらえるようにしてきました。最後のお別れでは、アクちゃんのためだけにお経まであげて下さり、火葬場でも、箱の中に家族からの手紙と、お花と私たちが使っていたバスタオルを下に敷いて、お別れしました。「わたしの元へ来てくれてありがとう。ずっと一緒だよ。大丈夫だよ。寂しくないからね。」と言いました。寂しいんじゃないかって、今、この日記を書いていても思うんです。合同で火葬と納骨をしてもらったのですが、そこを今は少しだけ後悔しています。擬人化しているわけではないんです。訓練所の方も、お寺の方も、パパも、同じ愛犬家の友人も、みんな「akubiちゃんの思うようにしたらいいんだよ。色んな事を言う人がいるかもしれないけど、それでいいんだよ。」みんな同じことを私に言ってくれました。骨は、合同の墓地に入れていただいたアクちゃん。でも、私の気持ちの持っていくところを家の中に作りたいです。写真をたくさん飾って、アクちゃんの場所を少しの間作ろうかな。と思います。お寺でお別れした時は、せなっちは幼稚園に送り出してから行ったのですが、「お母さん、絶対泣くでしょ。アクちゃん見ちゃだめだよ。泣くと僕も泣いちゃうからね」と言われました。一晩一緒にアクちゃんの亡骸と過ごしたのですが、アクちゃんにかけてあった大きなバスタオルをめくっては、頭を撫でて泣いていたので、せなっちはそんな様子が辛かったのかもしれないです。「命」を教えてくれたと感じています。人間ではできない存在感を私に残してくれたアクちゃんに、何度もありがとう。と言いたいです。小さい頃からの夢だった、大きな犬との暮らし。夢をかなったよ。ありがとう。ちょっと辛くて、暗め(相当)の日記になってしまいましたが、ここにはどうしても書きたくて、今日は夜更かしちゃんです。長くなって、すみませんm(__)m←1年半前のせなっちとアクちゃん。