キスに目をつぶらないなんて
なんだなんだこれは・・・『わたしを離さないで』読み終わりました。読み終わった瞬間、顔をしかめて「この何日かの読書時間を返して」と思ったくらい、まずい。語りがまず稚拙で、ストーリーもなにも緩すぎる。そんなんでいいと思っているの?と言いたくなるような通り抜け方。でもね、日が経つにつれてなーんか考えちゃって、昨夜マスターに、読み終わったことを報告してたらこの小説の持つ奇怪さと唯一無二の特性に気づくことができまして。私は思い違いをしていたのかもしれません。まず、どんでん返しはありませんでした。そして決定的な種明かしもございません。種はあるものだと、誰もが思うのも仕方ないような設定なのに、明かすことが重要な見せ場ではない、と言い切ってます。正直肩透かしをくらうけれども、もしかすると逆説的な主張なのかもしれない。本当に大切なことは、小さな声で語られる―って言ったのは誰だったっけ。重要事項には触れずに、瑣末なことの積み重ねで深い印象を残す。稚拙であるように見せかけた抑制された語りが物語に貢献し、儚さと茫漠とした雰囲気を生み出す。 そして、物語構造を、見えないところで静かにしかし確実に破壊してますよ。 さらに、一人称小説の限りない可能性を示唆している。これはひょっとすると、偉大なる文学テクストになるかもしれない。「記憶は捏造する」「運命は不可避である」がカズオ・イシグロの一貫したテーマらしいです。この作品において、後者は序奏で提示されるけれども、前者はどこかに巧みに練りこまれていたのでしょうか。私は気づくことができませんでした。例えば思い出の「美化」とか?あるいは、痛ましいほど希望を願う心が生み出した、事実の「捻じ曲げ」とか?これを知るには、読み込まなければならないんですが、それはマスターに任せるわ。「きっと読まないから」と言われたので、ぜーんぶストーリーから重要設定まで話し終わったその後に「気になってきたらから、読むわ」と言わしめた本。そういう本なんですよ、これ。オチを知ってても、読まなければこの作品のすべてをつかむことはできない。