【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半男性 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年男性 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期作家
2009.08.24
XML
カテゴリ:大正期・私小説

  『子を貸し屋』宇野浩二(新潮文庫)

 上記小説の読書報告の第3回目です。
 作品の二つ目のポイントを、これに置きました。

  (2)極めて特徴的な文体

 しかし、見事に特徴的な文体であります。適当に引用してみますね。

 私は、こんなに正直に、こんなに一所懸命に働いているのに、世界のすみずみまで見張つてをられるといふ神様は、彼が私に味方をしない筈がない、と夜の寒空の下を、ふるへながら、あるきながら、考へたものだ。私は、下をむいてあるきながら、彼はきつと私をあはれんで、私が拾つてもいいお金を、誰かにこの道に落とさしておいてくれるにちがひない、と本当にまじめに考へたものだ。だが、何にも落ちてはゐないのだ。この上は『どろばう』をしても差支へがあるまいともちよつと考へたことだが。これだけ文学の修業をしても、文字で飯を得られないものを、修業もなしに、『どろばう』する能力など思ひもおよばぬにちがひなかつた。      (『あの頃の事』)

 どうでしょうか。こんな文が、改行も極めて少なく、ずーーーっと続いていきます。
 うーん、なかなかのものですなー。
 ちょっと、この文体の特徴を、箇条書きに列挙してみますね。

  1.一文の異常な長さ。(本来「。」のところが「、」に。)
  2.ひらがなの多用。
  3.一文中の逆接接続(屈折)の多さ。
  4.段落の少なさ。
  5.間接話法の多用。(直接話法も行がえなし。)
  6.文末の断定型の多さ。
  7.極端な比喩。大げさな抑揚。

と、まー、こんなあたりでどうでしょうか。
 6.7については、例えばこんな表現です。

 「仕事は急流のやうに早くすすむのだ、あまりに貧乏な生活が私の頭から物を考へる力などを奪ひ取つてしまつたのだらう、私は機械になつたにちがひなかった。」

 「ちよつとでもだまつてゐると、心のなかが荒野みたいになつて、その上そこに空ツ風でも吹きとほすやうな感じがしてたへられなかつたからだ。」

 これらの文章上の特徴が、極めて特異な文体を作るのですが、僕がこの小説を読み始めてしばらくして気づいたのは、この一作だけならとにかく、この筆者は、この文体でずっと行くつもりなのか、という事でした。
 
 作品ごとに文体をがらりと変えたのは、なんといっても芥川龍之介でしょう。
 しかし芥川の場合は、「定点=原点」をしっかりと自分の物に持ちつつ「変奏」していったのでありまして、いきなりこれから入っていく宇野浩二とはかなり趣を事にします。

 確かに宇野浩二のこの文体は極めてユニークではありますが、この文体では書ききれない事も少なくないだろうと。
 かなり自信があったのかも知れませんが、果たしてこれでやっていく事に何か「怯む」ものを、筆者は持たなかったのでしょうか。
 その辺がとても気になりました。

 ただ、読んでいくうちに、幾つかの事が分かってきたのですが、当たり前ながら、筆者は、思いつくままだらだらとこの文章を綴っているわけではないということです。

 それはこの短編集に入っている、『人心』という作品との比較で、特に分かりました。
 同様の文体で描きながら、この『人心』のほうには「たるみ」が見られるのです。
 この文体は、だらだらと書いているように見えながら、極めて緻密にタイミングを計りながら、プロットの出し入れのなされている事が分かりました。
 『人心』は、ややそこが甘く感じました。

 最後にもう一つ。
 筆者がこの文体を選ぶのを決意した時、横に伴走していたものは、おそらく「伝統の力」でありましょう。
 そして、この文体で行けるところまで行こうと第一歩を踏み出した筆者に、「先達」として見えていたもの、それはきっと、西鶴の「浮世草子」ではなかったかと、僕は密かに考えたのでありました。

 今回は、こんなところであります。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

/font>

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.08.24 06:45:12
コメント(2) | コメントを書く
[大正期・私小説] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

パブロ・ベルヘル「… New! シマクマ君さん

やっぱり読書 おい… ばあチャルさん

Comments

analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

© Rakuten Group, Inc.