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2012.05.31
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カテゴリ:昭和期・転向文学

  『くれない』佐多稲子(新潮文庫)

 わたくし、佐多稲子の小説は2冊目でありますが、前回読んだのは、『時に佇つ』という連作短編集で、これがまた、まれに見る密度の濃い小説でした。
 どんな小説をすぐれた小説と考えるかという問はなかなか難しいもので、何故ならこの問は、小説とは何かという問題を根本に持つからであります。

 かつて三島由紀夫は小説とは何かという問を自らに差し出した後、アザラシのようだと言ったり、ヌエのようだと答えたりしつつ、結局は、小説とは何かを考えることの無意味さに言い及んでいます。
 そして小説とは、小説とはこういったものだという定義を述べたとたんに、そこからすり抜けていくものであると述べました。(たしか。)(『小説とは何か』)

 そんな意味で、すぐれた小説の本質を語ることは極めて難しいようですが、問を矮小化して、個人的に好きな小説、感心する小説の傾向としてしまうと、これは、まー、一気に書きやすくなります。

 私は今日も、小説好きで、かつ、私の小説の好みとは全く方向性の異なる友人と話をしていたのですが、好みの傾向の違う人と話をする時の方が、返って自らの嗜好の傾向や偏りがよく分かるようで、私は、倫理的に尊敬できる小説を好むと言うことに改めて気づきました。(こういった傾向はけっこう汎用性があるようで、私の音楽家の好みにも同じ要素があって、これまた私と好みの傾向を異にする別の音楽好きの友人からは、倫理性や人間性が何の音楽性と関係あるねん、そんなもんない方が芸術家らしいわ、と馬鹿にされているんですが。)

 佐多稲子は、プロレタリア小説作家としてデビューした後、苛烈な時代の中で「転向」を余儀なくされ、そして転向を果たしてしまった自らを、その後何十年にもわたって、反芻するように思い出し続け、探り続け、噛みしめ続け、そして断罪し続けるという、まさに、『時に佇つ』とは、読んでいて思わず背筋の伸びるような連作小説でした。

 そして、今回読んだ小説も、やはりこの作家に相応しい密度の高い小説でありました。
 まず密度が高いとは、筋書き以前のものとして、圧倒的な緻密な筆力が感じられると言うことで、例えばこんな表現。

 この丘の上から昼間は海がひらけて見えるのだが、今はただ狭い周囲に小松の幹が透けて見えるだけである。つめたい土と濡れた草の感触のなかで広介の掌だけ温かく明子に血を通わせた。町の方から、警笛を鳴らしつづけてきた電車が響きながら次第に近づいてきて、丘の下の線路を丘とすれすれに通過して行ったが、小さな箱のような電車の車内の灯がその一瞬、丘の上の二人の姿を映し出した。電車は終発であったと見え、間もなく停留所の電灯は、一斉にぱっと消えて、闇と霧の中に没した。

 何気ない描写でありますが、極めて明晰で、痒いところに手の届くような、本当に気持ちのいい文章であります。
 今となっては、こんな易しく書かれていながらも、きちんと描写と説明の責を果たしきっている文章の書ける作家は、現代日本文壇にほぼいないんじゃないでしょうかね。

 と、まず、文体について感心するのですが、そして筋書きに入っていきますと、これがまた、とっても「キツい」筋書きなんですね。
 夫婦の話なんですが、そして、夫が他に女性を作ってしまうという、こんな風にまとめてしまうとよくある展開ですが、「キツい」のは、その男女が共に小説家であるというところであります。(さらに言えば、民衆に誠実なる先進的プロレタリア作家ですかね。)

 上述した三島由紀夫は、こと恋愛の対象として見る時の女流作家に対する敬遠を、いろんな文であちこちに述べていました。彼は、女性の小説家は、それがすぐれた小説家であるほどに恋愛の対象になり得ないと考えていました。何故なら小説家とは、一に理性と明晰さをその「商売道具」とするものであり、それは恋愛の没理性性とは全く相容れないと考えていたからですね。

 この三島の考え方が正しいかどうかは置くとしても、妻も夫も小説家という状況は確かに息の詰まりそうな設定であり、しかし、女流作家にとっては、充分リアリティのあるものでもあります。
 つまり、本作は、筆者の自伝的な小説であるわけです。

 小説は、この小説家夫婦の、ジェットコースターに乗って上下左右に全身を揺すぶられるような理性と感情肉体の相克・歪みを描きつつ、最後は一応の「小康」状態をもって完結としますが、実はテーマもストーリーもほとんど終わっていません。

 例えば漱石の『行人』や『道草』などがそうであるように、こういった家庭小説、あるいは夫婦小説は、それがハッピーであろうがバッドであろうが、どちらにしてもなかなか終末を迎えないわけであります。

 それを、人生の深層にまで切り込んでくる倫理的な作品と捉えるか、ひたすら重い暗いの小説と捉えるかは読者によって様々ではありましょうが、私は上述しました文体のまろやかな明晰さと合わせ技で、久々に、存分に、しみじみと、「腹に応える」小説に触れたと思うのでありました。(少々腹に応えすぎ=凭れた感じはあるのですが……。)


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Last updated  2012.05.31 06:27:23
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