江蘇は長江を境に南北に分けられる。
長江以北の地域を「蘇北(スーベイ)」、
長江以南の地域を「蘇南(スーナン)」と呼ぶと言う。
(Wikiでは、「蘇中(スーチュン)」という中部地域の区分けがあるらしいが、
それは私は聞いた事がない)
私が昔、働いていた地域は、長江より南だから「蘇南」に当たり、
「蘇北」には行ったことがなかった。
今回、蘇北は初めて赴く。
浦東に到着し、国内線に乗るため虹橋に移動する
地下鉄内で、車内の風景をぼんやり眺めていると
「蘇北(スーベイ)」をキーワードに、ある光景が浮かんできた。
「蘇北(スーベイ)は嫌なんだよな、あの地域、週に一回しか
風呂に入らないからさ・・・」
阿明(アーミン)だ。
その蘇南で働いていた頃に会社がよく使っていた白タクの
運転手、「阿明(アーミン)」の顔だった。
「阿明(アーミン)」は、あだ名だ。
日本語にすると、「ミンちゃん、ミン君」のニュアンスだろうか。
年の頃は多分、30代後半。
郊外にあった会社の近くに住んでいて、
素朴な笑顔が印象的な田舎の運転手だった。
20代が主な中国人従業員からも「阿明(アーミン)」と
親しみを込めて呼ばれていたので、我々日本人も
「**先生」と言わず、「阿明(アーミン)」と呼んでいた。
本名は、忘れた。
阿明は、色が浅黒く、体格は結構がっちりしていた。
2年間、兵役に行った事があると言っていたが
いつもニコニコしており、厳しい雰囲気は微塵もなかった。
車に乗ると、いつもタバコを一本差し出し
「謝謝」と私が礼を言うと、
「酒煙不分家(酒とタバコは家を分けない)」と返礼するのが恒例だった。
阿明と世間話をしていて驚いた事がいくつかある。
阿明の睡眠時間はとても長かった。
一日に8~10時間睡眠だと。
「夜9時に寝て、朝6時に起きる」
「8時間だと、ちょっと寝足りないな。10時間くらい寝ると、
よく寝たな、と思う」などと言われかなり驚愕した。
そして会社の従業員に睡眠時間を聞くと、20代の若い女性も
大体似たようなもので、私が6時間睡眠くらいだ、というと
「なんでそんな遅くまで起きてるの?」と真顔で聞かれた。
会社の近くは、日本で言えば離島くらいに
何の施設もなかったから、彼らも何もやる事
なかったんだろうと思う。
TVやPCも、そんなみんな持っているわけではなかった。
阿明は赤いサンタナを持っていた。
タクシーを頼むと、時々、車がないと言われた事があった。
結婚式に貸し出しているから、と。
ああ、そうか。
赤はめでたい色だから、赤い車は結婚式に合うんだ。
当時の上司、大川さんは携帯電話を胸ポケットにつなぐ
受話器コードのようなバネ状のコードのついた
携帯電話クリップを持っていた。
当時は会社の近くでは同様のものは売っておらず、
しかし大川さんの携帯クリップは便利に見えたようだ。
何度か、阿明から日本で買ってきてくれないかと
頼まれて、5~6本買ってきた事がある。
ただ私が買ってきたのは、大川さんが持っていたコードより
細く、阿明の思った商品ではなかったようで
困った顔をしていたが、私は気づかないふりをして買い取ってもらった。
今ならね、タオパオやネットショッピングで買うだろうから・・・
年月を感じるのだけれど。
・・・と、阿明の思い出を一通り巡った所で、
「蘇北(スーベイ)は嫌なんだよな、あの地域、週に一回しか
風呂に入らないからさ・・・」
田舎に住んでいる阿明が言うんだから、
蘇北はよほど田舎なのだろうと、ぼんやり思っていた。
そして、その蘇北に初めて今から行くのだ。
一人でさ。
迎えの人は来てくれるけど、
あまりよく知らない人だしさ。
なんだろう。
昔は初めての土地に一人なんて、ワクワクしていたのに。
年なのか、慣れなのか。
阿明の言葉なのか。
なんとはなしに、上がらないテンションを
持て余していた。
つづく。