そんなことはどうでもいい(笑)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。2年前の秋、坐禅修行に行っていたときのことです。坐禅をしていた禅堂の窓から、木々が風に揺れるのがみえていました。揺れる木々を見ていたある瞬間悟ったのが、時間というものはそもそも存在しないのではないかということでした。存在するのは、今という瞬間だけ。そして、永遠の今の中、一瞬も同じでなく、常に変化し続けるものをみている。人が歳をとったり、子供が大きくなったり、鉄が錆びたりなど、あらゆるものが変化するのをわたしたちはいつも目撃しているので、時間というものが存在しているのだと思ってきました。けれど実は、事実存在するのは「今」だけで、永遠の今の中、常にうつろい変化しているのを目撃にしているにすぎないんじゃないのか?ということに気がついたんですよ。で、これが「諸行無常」というヤツだなと思って、食事の後の時間に、老師にそのことを話したんですね。すると老師は、「こいつ、面白いことを言い出したゾ」みたいなニヤっとした笑顔を浮かべながら、他の参禅者たちに、「濱田くんがおもしろいことを言うから、みんなききなさい」って感じに、声をかけたんです。で、「永遠の今」を発見したことを話したんです。そしたら、そしたらですよ。老師は、満面の笑みを浮かべながら、こう言ったんです。「そんなことは、どうでもいい(笑)」ありゃりゃ、「どうでもよかったですか」って感じ(笑)。で、今ならよくわかるのは、(当時もなんとなく知っていましたが)老師が言いたかっは、「どうでもいい」ということではなかったということです。老師が言いたかったのは、「とてもいいところに気がついているゾ」、「でも、その発見を手柄のようにして、そこにふんぞり返ったりしないことだ」ってことだったんだろうなということです。わたしたちって、こういうことを知らず知らずにやってしまうものですが、こころのどこかでは、そのことをよく知っていて、どこかで「ダサイことをしているな」って感じているものですよね。それをすかさず、見抜かれちゃったという感じでした(笑)。「自分でも、手柄にしようとしていることに気づいておろうが」、「そんなことにとらわれて、自分を下げなくてもよろしい」、「そんなところにとどまっていないで、おおいに修行しなさい」って伝えられたんだろうなって思います。なによりも、「そんなことはどうでもいいんだ(笑)」って、言った時の老師の満面の笑みが、そのことを伝えていたんだなと感じます。すごく愛のある人だなぁ、いい師に出会えたなぁと思うのです。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。