出すものを変えてみる
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日はめちゃいいお天気でした。我が家の庭には、まるでお寺のような大きな樹があるのですが、風に木の葉がさわさわと揺れる音が、すごくここちよいBGMになってくていました。(写真が庭の樹です)では、今日の話題です。自分の周りにあるもの、起こってくるできごとは、すべて鏡だといわれます。で、イヤな気分にさせる人が目の前に現れたとしたら、その人は、自分のみたくない部分を見せに来る役割の人といわれていますよね。で、「え~、こんなの鏡じゃないー」って言いたくなって、でも、「鏡なんだよなー」、「なんの鏡なん?これ?」とか、「受け入れたいけど、受け入れなくちゃ~」とか、よく七転八倒したりしますよね。で、なんで七転八倒してしまうかというと、このイヤな感情を感じたくないから、イヤな感情を感じさせる現実が二度と起こってほしくないから、なんとかしたくて七転八倒しちゃいます。ということは、のぞむのは、起こる現実を変わってほしいってことですよね?起こってほしいことは、「この鏡なんなんだよぉ!?」とか、「鏡なんて認めたくないー」とか、「受け入れたくないけど、どうしたら受け入れられるのぉ?」って、七転八倒することではないですよね(笑)。さて、この世界のことわりである鏡のしくみは、実はものすごくシンプルです。自分が発信したものが、シンプルに返ってくるだけです。それは、壁に向かってボールを投げたら、自分のとこにろに返ってくるのと同じく、とてもとてもシンプルなんです。まっすぐにボールを投げたら、まっすぐに返ってくるし、斜めに投げたら、斜めに返ってくるわけです。で、わたしたちがむしゃくしゃする時ってどういう状態かというと、斜めになげたから、斜めに返ってくるボールに対して、「なんで斜めに返ってくるねん!」と、うなっている状態なんですね。斜めに投げて、斜めに返ってきたボールに、「なんで斜めやねん!」って言っている人がいたら、すごくこっけいで笑ってしまうんだけど、でも、自分の身に起こったことだと、それがみえないから、「なんでやねん!」って言ってしまいたくなるわけです。なんで自分のことは見えなくなるかというと、まわりのみんながそれに気づいていないから。だから、それが当たり前だと信じ込んじゃってきたからです。それともうひとつは、今これが自分だと(無意識に)認識している存在が、自分なんだと思い込んでいて、目の前の人は、他者だと信じ込んでいるためです。(↑これ、けっこう深い)ちなみに、斜めにボールを投げて、斜めに返ってくるってどういうことかというと、「イヤだけど、受け入れるの難しい~」って、ボールを投げたので、「イヤだけど、受け入れるの難しい~」ってボールが返ってくるようなものです。ホントは実に実に、シンプルなのです。わたしたちに起こってほしい現実は、「難しい~」とか「なんで~」とか感じる現実ではなくて、自分に起こってほしい現実なワケですよね。優しい気持ちになったり、ワクワクしたり、穏やかな気持ちなるような現実ですよね。じゃあ、どうすればいいのか?わたしたちの世界のことわりは、すごくシンプルです。自分が発したものが、自分に返ってくるだけです。としたら、自分がしてほしいことを、自分の周りにする。やさしく返ってくるボールを受けたければ、やさしくなげるって感じです。イヤなボールが返ってこないようにするのではなく、気持ちのいいボールが返ってくるようにする。そしたら、気持ちのいいボールを投げるってことになりますよね。この世界のことわりは、ほんとうにシンプルです。イヤ現実を起こらないようにするのではなく、気持ちのいい、やさしい気持ちになる現実を創りだすために、自分はどんなボールを投げるのかな?って、よかったら意識してみてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ今週の土曜日、16日からブログをこちらにお引越しします。よかったら、読者登録してくださいね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。