こころの負担について
◆「できること」と「できないこと」と障害をもつ人をみかけると、どう感じられますか。「お気の毒」ですか。もしそうだとしたら、なぜでしょう。「だって、○○ができないでしょ。」という声が聞こえてくるような気がします。確かに、物理的負担は健常者の方より多いでしょう。でも、私にとってはそれよりも、こころの負担の方がよほど大きいような気がします。そして、そのこころの負担は、障害者だから感じるものではなく、誰もが感じること本質的には変わらない、と思っています。本当にできないかどうかは別問題として「できないこと」があると思うのは、障害者ではなくても、みんな同じようなものではないでしょうか。ハンディがあると、その現実が浮き彫りになりやすいのだと、私は思います。何かをしようとしたとき、物理的にクリアしなければならない場面に遭遇します。試行錯誤して、不可能に思えたことが可能になったときは、とても嬉しいです。実際問題、行動の幅が広がり生活がラクになります。私、頑張ったな。という達成感も感じられます。でも、どうしてもどーーーしても限度があり、できないことを目の当たりにすることがあります。すると年来の仇敵と出会ったように感じて、苦しくなってしまうのです。今の時代、仕事や複雑な人間関係を前に、「どう頑張っても限界だ!」と感じている人が増え続けているように感じます。思うようにならないことへの葛藤は、決して障害者特有のものではありません。それぞれが選んだ人生のシナリオの数だけ、シチュエーションはさまざまですが構造は、同じような気がします。