生と死の瞬間
昨年の8月、私は父を亡くした。末期の癌だった。その父の四十九日を前にして、義理の姉が自殺した。四十九日と初七日に二人の写真が祭壇に並んだ。末期癌の父の最期は明るかった。家族が父を囲み、いろんな話で盛り上がった。父との楽しい思い出は、父の生き方を肯定し父に「これで良かった」と思わせた。将来の夢の話は、未来をみんなで共有し、この世を去るであろう父にもまた夢を見せてくれた。父は最後まで一生懸命生きた。モルヒネで痛みを抑えて貰いながら頑張って生き抜いた。 だが、義姉の死は違った。それは突然のことだった。「お義姉さんが自殺したぁ..。部屋のドアにベルトをかけて首を..」絞り出すような母の声を今でも私は忘れない。立っていることが出来なくなり、その場で崩れ落ちながらしゃくりあげるように私は泣いた。分からない。分かりたくない。なんで?間違い?なにが?いやだよ。助けて。だれか助けて。なんで?違うよ。いやだよ。。 自分の身体が自分なのか、どこにいるのか何が起こったのか、現実なのか夢なのか、どこに居ても涙がこぼれた。 遺書は無かった。苦しんだ様子もなく眠っているような、綺麗な顔をしていた。 こんなに愛しているのに、周りの人がどれだけ悲しむか何故わからなかったのか..。寂しくて、悔しくて、悔やんでも悔やんでも帰って来ないのに泣き続けた。 義姉の四十九日の日、お寺でお経をあげてもらった。身内5人だけが広いお堂の中にいて、お線香の香りとお経の声が聞こえてて、私は黒い服でじっと手を合わせたまま、義姉のことを思っていた。お経が続き、自分が無くなった瞬間、私は義姉の最期をそこに感じた。 音も風も、何も無い場所に義姉はスイッと同化して消えた。 スイッと消える...そんな感じだった。多分それは、義姉の波長と向こうの波長が合ってしまった瞬間。義姉もそんなつもりはなかったと思う。こんな自殺があることに私は驚いた。死のうとして死ぬんじゃない、波長が合って持って行かれる死。そんな死もあることを私は初めて知った。