後藤象二郎先生誕生之地
岩崎弥太郎に土佐藩の莫大な負債と少しの資産を押しつけた後藤象二郎。今回は後藤象二郎先生誕生之地である。場所は土佐電鉄の大橋通を南へ。現在、天神橋通商店街と言われる場所であり、生誕之地はキリスト教の幼稚園になっている。この天神橋通商店街を更に南に行けば鏡川にかかる天神大橋、その先は潮江天満宮である。後藤象二郎は明治維新の終わり頃に少し活躍した。その後、明治政府においてそれなりの地位にいたが大した活躍は無い。明治にやったことと言えば、自らの長女を三菱財閥二代目総帥岩崎弥之助の妻にしたことくらいだ。岩崎弥之助は初代岩崎弥太郎の弟である。三菱財閥三代目総帥は初代弥太郎の息子の久弥。そして、四代目総帥は二代目弥之助の息子の小弥太、つまり後藤象二郎の孫なのである。明日は、後藤象二郎生誕之地から徒歩1分の場所にある「板垣退助先生誕生之地」を紹介したい。