最近のブルートレイン記事・情報まとめ
2月28日~2日に掛けて、ブルートレインの記事が多かったので、備忘録として残しておく事にします。【お知らせ】2月28日~3月1日の乗車記録は少し画像を更新しました!↑週末また追記予定です。+++以下から記事の紹介です。まずは東京での出来事ですがさよならブルトレ機関車…3台見納め公開 スポニチ機関車が3台映ってますが、個人的には左の二台の頃に乗っていたので、懐かしい気がしました。この話題は昨日のNHKでも取り上げられたらしいです。ブルートレイン引退で撮影会 NHKニュースまた、昨日1日は通常はディーゼルカーのみしか走らない肥薩線をブルートレインが走りました球磨川の春 千客万来 「はやぶさ」に熱視線 川下りも20隻で始動 SL人吉の運行に期待感 西日本新聞ちなみに7日にも走るそうです。46年ぶりのシャッターチャンス 「はやぶさ」再び肥薩線へ 1日と7日特別運行 西日本新聞はやぶさは当時、西鹿児島駅まで鹿児島線を走っていた。しかし、このとき、鹿児島線が土砂崩れで通行できなくなり、緊急措置として肥薩線を走ったのだ。はやぶさは、まもなく半世紀の歴史を閉じるが、3月1日と7日に肥薩線を含む熊本‐人吉間を特別運行する。46年ぶりに訪れる貴重なシャッターチャンスを福井さんは心待ちしている。 ●前回撮影福井さん「素晴らしいプレゼント」 福井さんが写真を撮ったのは1963年5月31日。人吉市の映画館に勤務中、友人から電話が入った。「鹿児島県の薩摩大川‐西方間が土砂崩れで通れなくなった。特急が肥薩線を迂回(うかい)運転しているぞ」と、教えてくれた。映画館を抜け出し、約2時間かけて人吉市の大畑駅近くまで駆け付けた。 しばらく待っていると列車が来た。先頭は蒸気機関車のD51。続く客車の色は見慣れた茶色ではなく、目に鮮やかな青い客車「ブルートレイン」のはやぶさだった。夢中でシャッターを切った。「新幹線も走ってなかった時代。あこがれの客車だった」。福井さんは当時をこう振り返る。 この迂回運転についてJR九州は「記録がなく確認できないが、珍しかったはず」としている。福井さんの“特ダネ写真”はその後、鉄道雑誌で大きく紹介された。今もしこの状況なら熊本辺りで打ち切りだったのでしょうけど、肥薩線を通すとは驚きですね西日本新聞では社説にもなってましたブルートレイン 老紳士よ、追憶の中で永遠に 西日本新聞■月のはじめに考える■ 駅のホームで1分ほどの短い休憩をとっている彼は、誠実そうな老紳士のようです。たくさんのファンがカメラを手に、名残を惜しんでいました。 顔の中央、エンブレム(シンボル板)が少しさびていて、さすがに体力の衰えは隠しきれません。彼は、次のように語っているようでした。 「気持ちの上ではまだ若いもんには負けないつもりですが、子どもたちから、もう十分働いてきたのだから-と隠居を勧められましてね。確かに、子どもたちのように速く走ることはできないし、ここらが引き際でしょう」 彼ら-昭和時代から黙々と走り続けてきた「富士」(大分-東京)と「はやぶさ」(熊本-東京)が今月14日付のJRダイヤ改正で廃止になると聞いたときの寂しさを、どう言ったらいいでしょう。 九州を発着する夜行寝台特急列車ブルートレイン(略称・ブルトレ)が、とうとう姿を消してしまうのです。 ●時代をけん引 ブルトレは、1958年からの「あさかぜ」(下関-東京 2005年廃止)を最初として約半世紀、時代をけん引してきました。 1964年に登場した新幹線は英語で「Bullet Train」(弾丸列車)と呼ばれます。ブルトレは、つづりは似ていても、その半分以下の速度でしか走ることができません。 新幹線網、航空路網、高速道路網が全国に張り巡らされ、ブルトレは新幹線、飛行機、高速バスというライバル三者との競争に、価格面でもスピード面でもサービス面でも太刀打ちできなくなっていきました。 そして、既にこれまでもいろんなブルトレが利用者減少のために廃止を余儀なくされてきたのです。 「みずほ」(熊本・長崎-東京)が94年に、「あさかぜ」と「さくら」(長崎-東京)が2005年に、それぞれ廃止になったときも、寂しい思いをしました。 それでも、まだ「富士」や「はやぶさ」があるからと、慰めにしていた鉄道ファンは少なくないでしょう。それがなくなるのですから、こたえます。 団塊の世代が青年期のころは、九州-東京間を空路で行くことはもちろん、ブルトレに乗るのも高根の花で、急行の自由席で丸1日かけてとことこ行くのが普通でした。特急追い越しなどのためにしばしば長時間停車するし、硬い座席でお尻は痛むし、なかなか大変でした。 それだけに、ごくたまにブルトレに乗ることができたときは、心が弾んだものです。 「ゴ、ゴン…」と連結器から重い音がして動きだす。加速で背中がシートに軽く押しつけられる感触。通路側の大きな窓に夕景色が流れていき、見知らぬ町のオレンジ色の明かりを、ぼんやりと見つめる。 「タタン、トトン」というレールの音にまどろんでいるうち、いつの間にか夜が明ける。上り列車では、やがて朝日に染まった富士の山姿が-。 ブルトレには、この速度で夜間に走るからこその、特別な味わいがありました。夕方にたって翌日の遅い朝に終着駅に着く、まったりした時間の流れに身をゆだねる鉄路の旅は、新幹線や飛行機では味わうことのできない上質なひとときでした。 列車の複数の車両に動力装置を分散させている電車と違って、ブルトレは、たくましい機関車が長い編成の客車を一手に引き受け、ぐいぐい引っ張ったり押したりして進みます。 政治の世界でも経済の世界でも、強い指導力を備えた人物が難題を解決に向かわせていった、そのような時代と、ブルトレの機関車の寡黙なけん引ぶりを重ね合わせるのは、感傷的すぎるでしょうか。 国内各地を結ぶ交通手段が高速化すればするほど、もともと国土の狭い日本の「体感面積」は、どんどん狭まっていきました。 ●失ったものは 半世紀の間に、これ以上狭くなってどうする、と思えるほど国土が狭くなった気がするのですが、この「収縮現象」がやむ気配はまだありません。 高級感のある車両を投入した「北斗星」(札幌-上野)など、一部のブルトレはなお運行されますが、いつまで続くか、将来が約束されているわけではありません。 社会が効率化、高速化を飽くことなく追求してきた1つの必然として、愛すべきブルトレが私たちの視界から消えようとしています。 便利な高速のものと情緒のある低速のもの、2つの交通手段を同時にほしがるのは無理なことと分かってはいても、後ろ髪を引かれます。高速化で得たものはもちろん大きいけれど、その代わりに、得たものでは埋め合わせの利かない何か大切なものを失ったのではないか-と。 九州-東京間をひた走ってきたブルートレインよ、これからも私たちの追憶の中で末永く生き続け、ふと脳裏に浮かぶこうした問いに答えてくれませんか。長い間、ご苦労さまでした。=2009/03/01付 西日本新聞朝刊=ブルートレインの乗車の感じが非常によく現れた文ですね乗車記もありましたよブルトレ「はやぶさ」同乗記 18時間「人の縁」運ぶ 3月14日半世紀の歴史に幕 ガタンゴトン、上京応援 西日本新聞上りに乗車されてますが、僕が1月10日に乗ったときも富士山は本当に右側からも左側からも見れました。いい思い出です。グッズも売られているようです。モテモテ富士グッズ 大分、別府で1日発売 大分合同新聞ユニークなのが、運転席や客席、車内アナウンスの音声を収録したCD。映像はなく、起動音やブレーキ音などを楽しむCDだが、同支社は「運転士のアイデアから生まれた商品。車内の臨場感が味わえる」とPRする。このCDは好評らしいですね。東京駅でもグッズは販売されるようです。↓PDFに飛びます。1ページ目の弁当は個人的にはどうかと思うので、2ページ目をご覧ください。富士・はやぶさグッズ販売について 日本レストランエンタプライズ記念プレート(6種類) 各1,500円、富士はやぶさヘッドマークストラップ 600円はモノによっては買ってみようと思いますが、大混雑しそうですね。。。15:00~19:00※土休日(1.7.8日)は、11:00~19:00が発売時間なので、10時前の到着をみてか、それとも到着は捨てて並ぶか。。。個人的には8日しかチャンスがなさそうです。+++応援いただける場合はクリックしてください。