旧白州邸 武相荘(東京都町田市能ヶ谷)
台風一過。気持ちの良い青空と日差しになった日曜日。下僕達は、以前から行ってみたいと思っていた「旧白州邸 武相荘」へと行ってみました。以前からあるのは知っていたのですが入場料が1000円と高く、家からも車で10分もかからない場所にあるのでいつでも行けるという気もあり、この近郊に住み始めて8年になりますが、今まで訪れることはありませんでした。最近、世は白州次郎ブーム。かく言う下僕達も、白州次郎の人となりを知るにつれ、一度は行きたいね~と思っていたのです。ところが、ここ最近は来場者もかなり増えた様で、第一駐車場と第二駐車場合わせて7台しかない駐車場は、休日となると車を止めるのが一苦労・・・そんなこんなで、この日まで機会が持てなかったのですが、朝の9時半に家を出て開館前に訪れることで、駐車スペースを確保! やっと、訪れることが出来ました。住宅街の一角にある坂を少し登ると、林に囲まれた武相荘への入口が見えてきます。白州次郎(1902~1985年)は、戦後、吉田茂に請われ日本国憲法の制定に深く携わり、その交渉過程で、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」とまで言わしめた程です。自分の信じた「原則(プリンシプル)」に忠実で、こんな人が日本人にもいたのか!と思わせるエピソードには事欠きません。日本で初めてジーンズを履いた人とも言われており、公職引退後も80才過ぎまでPorsche911を乗り回し、イッセイミヤケのモデルを引き受けるなど、全てにおいて日本人の物差しでは測りきれないスケールの人物です。入口で入館料を支払い、一歩足を踏み入れると周りの景色とは一変。そこだけ、タイムスリップした様な感じです。「武相荘」は、昭和18年に白州家が移り住むまでは、明治時代からの畜産農家として続いていたそうです。名前の由来は、相模と武蔵の境にあることに因んでいるそうですが、「無愛想」にもかけて名付けられたとのことです。白州次郎は、随筆家でもある正子夫人の回顧録によれば、昭和15年頃から第二次世界大戦の開戦を予測し、食料の確保を考えて東京の郊外に田圃と畑のついた農家を探しており、空爆などの恐れもないこの鶴川の地を選んで移住したそうです。(日本の敗戦も予測していたと言われ、開戦二年前にここまで先を読みつつ、自身のライフスタイルを損なわない選択をされていることに感嘆します)門へと向かう横、今は休憩スペースとなっている場所にある囲炉裏。鉄瓶に生けられた花が綺麗です。頭上にある燭台。時代を感じさせます。門をくぐると、そこだけ辺りの喧噪から逃れたかの様な静かな時間が流れます。茅葺き屋根の母屋。心地良い朝の日差しが差し込む母屋の廊下。母屋の入り口にも花が飾られていて、とても雰囲気を出しています。館内の写真は、屋内撮影禁止の為ありませんが、白州夫妻が暮らしていた当時の状態で保存されており、正子夫人の着物や帯、当時使っていた食器等も置かれています。どれもこれも素敵なものばかりで、そのセンスの良さには言葉を失います・・・母屋の奥には「鈴鹿峠」と名付けられた回廊式の散策路が整備されています。宅地開発が進むこの辺りで、本当にここだけ時間の流れが止まっているかのようです。納屋の下には、生前使われていた農耕機具がそのまま置かれています。名前を彫った木の道具箱。こんなところにもこだわりを感じてしまいますね~館内に多く植えられている柿の木。色付く身が秋を感じさせます・・・「旧白州邸 武相荘」は、昭和の激動期をその中心に身を置きながら生きてきた白州次郎の安息の地として、今も変わらぬ姿を見せてくれています。「旧白州邸 武相荘」の場所は、こちらです。住所:〒195-0053 東京都町田市能ヶ谷町1284 (ユニクロが目印になります)電話:042(735)5732開館時間:10時~17時(入館は16時半まで)休館日:月曜日・火曜日 (祝日・振替休日は開館。夏季・冬季臨時休館あり)入館料:税込 1,000円この日の女王様は、爆睡中の1号の上に乗っておくつろぎ。これ、マジで寝てるんですよ・・・ 信じられます?何も気にせずのんびりくつろぐ女王様。1号さん苦しくないのかい・・・^^;というか、お尻が顔に・・・【追記】ここ2週間近く右肩痛がひどくて、あまり長時間PCに向かえない状態です。申し訳ありませんが、コメントにレスが返すことが出来ていないことをご容赦下さいませ。調子の良い時間帯に、皆様のブログの方にお邪魔させて頂きますあまりに鈍感な1号に、応援のクリックをお願い致します。先天性の「門脈シャント」という難病を抱えている幸ちゃんへのご理解とご支援をお願い致します。→詳しくは、こちらまで