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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史レポート
名古屋行ってました。
取引先の年に一度のイベントで、 締めは懇親会♪ 呑むぞー! って思ってたんだけど、友達いないし、 思ったよりたくさんの人いたし・・・・ ・・・・ 「かんぱーい」っていったあとも、ぜーんぜんノリ悪し・・・・ 料理も普通でおもろないし、 チャチャッと名刺交換して帰ってきちゃいました・・・・ なんか、自己嫌悪・・・・ まー、そのあと新幹線でも、家に帰ってからも呑んだんだけど、 なんか違和感あるんス・・・ 「パー」っと呑めない自分がなんかヘンで・・・ ううう、 今日はシオシオノパーっす。 気を取り直して、古代史! 卑弥呼の読み・・・・ あれ、・・・・ 忘れてた・・・・ 卑弥呼ちゃんの読みの前に、 彼女のお墓の続きを書くの忘れてた・・・・ ・・・・・ 酔っ払いってことでカンベンしてください・・・ (仕事もいつもこの調子でぷ) して、 「in memory of 卑弥呼」 径百余歩は約25mってことでしたよね。 そので問題になったのは 「大いに冢を作る」、これをどう解釈するか、これです。 直径25m程度の墓で「大いに」って表現はどうなんですかねぇ・・・ この疑問です。 まず現代の我々にとって、古代のお墓ってーと、 伝仁徳陵なんかの巨大古墳をイメージしちゃうけど、 巨大古墳が現れるのは、卑弥呼の時代のはるか後代なんです。 ここで大事なことは、「三世紀の目」で見ることです。 最近の研究では大和の「箸墓古墳」の築造は三世紀後半じゃないか、 ってことを言う研究者もいて、 これが卑弥呼の古墳じゃないかって言ってますが、 残念ながら、これはないッスね。 もしこの「箸墓」を魏使が見たとしたらどう表現したでしょうか? その形状、前方後円墳を見て、 単に「大いに冢を作る」というだけの表現じゃヘンじゃないですか? 「円と方を組み合わせ、その形、杯の如くなり」 みたいな表現をしたと思うんです。 魏使にとってはこんな形の墳墓は恐らく初めて見たものなんですから。 次に「大いに」って表現についてですが、 原文は「大作冢」(大いに冢を作る)とあります。 これが「大作冢」(大いなる冢を作る)であれば、 「デッカイ墓を作った」ってことになるけど、 そうは書いてないんですね。 この「大いに」って形容句は、 「作る」っていう動詞に対する副詞的修飾語であって、 「冢」に対する形容詞的修飾語じゃないんです。 作者の陳寿は、それを当然理解した上で、 「大いに」という表現をしてるんです。 つまりこの表現は、 国家や民衆が寄り集って盛大に卑弥呼の墓を作ったということで、 「大きな墓」を作ったという表現じゃないんです。 この帰結はいろいろなことを考えさせられるんです。 ううう、再び久米島の泡盛が効いてきた・・・・ えーと、上記の帰結でいろいろ考えられるって書いたけど、 カーット! 昨日書いた卑弥呼の読みをやります。 んで、そのあと卑弥呼ちゃんは何歳ぐらいだったか推測していきます。 おお、イカン! (ここんとここればっか・・・) 日が変わったんで、寝ますです。 SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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