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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jul 26, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

行って来ましたよぉ!

「さくら水産」♪

相変わらず安くってゴキゲンです。

なんてったって、300円を越えるつまみがないんです。

一番安いのは50円!

え、何かって?

それはね、

 

 

 

 

「魚肉ソーセージ」・・・・

 

まー、たいしたことないんですけど、

庶民の味方ですな♪

 

 

さて、昨日の続き、銅鐸です。

昔学校で習ったのは、

淡路島を境として近畿を中心に「銅鐸圏」、

その西側、九州を中心に「銅剣・銅矛圏」でしたね。

ところが出雲の加茂岩倉で30数個の銅鐸が

いっぺんに出土しちゃうわ、

そこからわずかに離れた荒神谷からも

358本の銅剣類と一緒に6個の銅鐸が出ちゃうわで、

にわかに出雲が注目されたんですね。

この銅鐸のルーツはいったいどうなってんの?

ちゅーことで、いまだに解明されてないんです。

 

そこで今回、素盞嗚氏の大胆予測です!

この銅鐸、研究者によって

さまざまな分類方法がとられてますが、

そのすべては相対的な分類方法であり、

絶対年代は不明なんです。

そこで素盞嗚氏がまず考えたのは、

神武の「ヤマト」入り。

前回も書いた通り、

近畿天皇家の初代天皇である神武が

ヤマトに入ってからも銅鐸が使用されていたとするなら、

その痕跡が記紀に記載されてないわけがない。

ところが記紀には一切書かれていないんです。

ということは、この銅鐸、神武のヤマト入りを期に

使用されなくなったのではないか、

こう仮説を立ててみました。

この意味するところは、

神武以前に近畿にいた人たちが使っていた!

その帰結になりますね。

そうです!

あの謎多き人物「ニギハヤヒ」です。

彼の「王朝」で使用されていたのが銅鐸ではないか、

そう考えてみました。

ではニギハヤヒの出自はどうか?

これも以前書いたとおり、

元々は出雲の可能性がありますね。

そして出雲族の人間として九州北部、

遠賀川流域にいたと書きました。

 

実はこの銅鐸、近畿を中心に出土するんですが、

九州からも古形の銅鐸が出土するんです。

しかも九州北部を中心に・・・・

うーん、

なんかピタリはまってきたような♪

で、さらに面白いことに、

この銅鐸の近畿での出土状況を見ると、

大阪、滋賀、和歌山なんかが多く出土して、

ヤマトを抱える肝心の奈良からは、

さほど多く出土していないんです。

これはヤマトを中心に栄えた神武たちが

銅鐸を使わなかったことを

意味してるんじゃないかと思います。

さらに面白いことに、

後期の銅鐸は、

愛知、静岡から多く出土するんですが、

この愛知、静岡の、後の「国造」の出自を

調べてみると、なんと!

 

 

物部系の氏族なんです。

 

どうも銅鐸は、

出雲王朝で生まれ、

一部九州で使われ、

ニギハヤヒの近畿入りによって発展した。

そしてその担い手は物部氏だった・・・・

これが素盞嗚説です。

 

でも、どうしてもわからないのが、

その利用方法なんです。

祭祀の時に、鐘として鳴らしたもの。

これが定説なんですが、

なぜか素盞嗚氏の「血」が騒ぐんです。

なんかもっと違う用途だったって・・・・

 

なにか閃いたら、また書きます。

 

さて、昼の時間も終わったし、

暗くなるまでお仕事じゃー!

 

・・・・・・

 

うううう、

 

 

遊びてぇ・・・・

 

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Jul 26, 2006 01:12:10 PM
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