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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
最近、豆板醤に凝ってるんです。 今はSBの「李錦記」。 その前に使ってた富士食品のモンに比べたら 結構いけますぜ。 辛味もピリッ! コクもgoo!
さーて、大宰府にあった紫宸殿。 大和を中心にした近畿にはそれはあるのか? ・・・・・ ある・・・・・ 実はあるんです。
ただーし!
それは平城京以降、 8世紀以降の都だけ。 7世紀後半の都である天武天皇の 浄御原宮はどうかっていうと、 これがないんです。 んで、ないことに研究者は困惑してるんです。 通説から言うと、当然なければならないからね。 なぜなら、通説ではこの時代に すでに近畿天皇家が対外的にも認められた 倭国王だったと考えられているからなんです。 んで結局はうやむやになってるんですね。 天武の後の持統・文武の都である 藤原宮はどうか? これは素盞嗚氏が尊敬して止まない 古田武彦先生が調べられました。 現地では「大極殿」と言う看板が出てるようです。 そこは「鴨公神社」。 よーく調べてみると、 都城研究者の第一人者である 岸俊男氏が、 ここ鴨公神社を「大極殿」に指定したようなんですが、 考古学的根拠はまったくないんです。 しかし学者にとっては「大極殿」がないと困るんです。 近畿天皇家が倭国の中心権力者と信じてますからね。 後続の研究者たちも、 ここに大極殿がないと、 根底から古代史がひっくり返っちゃうから、 頬ッ被りしてるんですな。 まー、古代史の現状はこんなモンです・・・・ で、何が言いたいかっていうと、 7世紀後半の持統天皇の藤原宮には 天子はいなかった! これです。 要するに7世紀後半の近畿天皇家は 倭国の代表じゃなかった、 この帰結です。 では、大宰府にいた天子とは、 いつの時代の天子だったのか? 次回はこれについて考えてみます。
いつも30分ぐらいで書き上げるんですけど、 今日は2時間もかかっちゃいました。
「ダンドリ」ってーTVドラマを見ながら 書いてました。 ・・・・・ ううううう、 えー、ドラマや! 感動して、2回も涙しちゃいました・・・・ 横で子素盞嗚2号が呆れてました・・・・ 若いモンの純粋な気持ちにゃー、 単純に心打たれますなぁ・・・・・
え、呑んでるかって? ふっふっふ、 今日は EVAN WILLIAMS ってー、安いバーボン呑んでまぷよぉ♪ SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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