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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Sep 9, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

日本書紀に書かれた銀銭の初見。

コレは顕宗(ケンゾウ)天皇2年(西暦486年)に出てくる。

前回書いた「稲十斛は銀銭一文」、これだ。

顕宗天皇ってーのは、

いろいろ苦労していて、

その記事の量もそこそこ多いんだけど、

なぜか「マイナー」・・・・

どうですか?

あんまり知らないんじゃーないですか?

その顕宗紀にこの銀銭記事が、唐突にでてくるんです。

しかも通貨記事の初見。

なんで「初めてわが国で通貨を発行した!」

というような記事はないんでしょうか?

「国」を統一した証として「通貨の発行」をしたのなら、

その華々しい業績を国史に記載しないワケがないですよね。

でもそれがない・・・・

そこで素盞嗚氏は以下のような仮説をたてました。

 

この銀銭、発行元は九州倭国じゃないか!

 

んで、再び日本書紀を読み返しました。

顕宗紀2年に銀銭記事。

元年に戻ってみると、

3月に「曲水の宴」を開催したとある。

2年3月にも同じく「曲水の宴」

そのあと10月に「銀銭記事」

3年3月にも「曲水の宴」・・・・

顕宗天皇は3年連続で「曲水の宴」を開催している。

さてさて、「曲水の宴」とは?

もともとは中国の秦の時代に始まったものとされている、

宮廷の「うたげ」です。

人工で作った曲がりくねった川に

「杯」を浮かべて、自分のところを杯が通り過ぎる前に

「歌」を読むというイベントだ。

こんな感じです。

曲水の宴

これは宮廷のイベントなんで、

主催は当然「天子」。

これを真似て倭国で初めて開催したのが

顕宗天皇だと、日本書紀は言ってるわけです。

でもこの宴、日本書紀では、

この顕宗天皇以後は一切開催された形跡がないんです。

続日本紀になってやっと記載されているんです。

その間、約350年・・・・・

この違和感から、

山田宗睦氏などは

「顕宗紀の曲水の宴は架空である」

と言っている。

素盞嗚氏も、その記事があまりにも唐突に出てくることや、

その後、350年も開催された形跡がないことから、

その史実性は疑わしいと思っています。

そう、この顕宗紀の「曲水の宴」は

九州倭国の国史「日本世紀」からの盗用ではないか!

そう考えています。

それを裏付けるように、

この曲水の宴は大宰府で、

今でも行われているんです。

本来、宮廷の行事として行われるものであれば、

それは大和のみに継承されなければならないのに、

なぜ九州の大宰府で行われているのか!

しかも1994年、

久留米市で曲水の宴と思われる遺構が発見されているんです!

 

曲水の宴の開催は九州倭国にて行われた。

そしてその記事の間に挟まった銀銭記事も

九州倭国の国史「日本世紀」からの盗用である。

これが素盞嗚氏の新たなる仮説だ。

この仮説をもとに、本来のテーマだった

富本銭へとフラッシュバックしてみよう。

次回は「九州倭国の大確信!」だ。

 

今朝、TVでこの子が出てました。

もえ

 

うーん、どっかで見たことあるような・・・・

なんやったけかなぁ・・・・

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

あ・・・・・

 

 

 

 

ああ!?

 

ジョーモン?

 

い、忌まわしい過去が・・・

封印されたはずだったのに・・・・

 

 

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Sep 9, 2006 10:03:01 PM
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