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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Sep 12, 2006
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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史レポート

いやーマジメに働いてると、

いいことありますなぁ・・・シミジミ

建設会社のコンサルタントを生業にしてる素盞嗚君。

大きい仕事のコンサルをいただきました。

アタシたちの使命はクライアントを

必ず成功させることにあります。

だから、期限を切って、

何をもって成功とするかを確認するんです。

大変だけどやりがいもある♪

ちゅーことで、これからメッチャ忙しくなります。

でもこいつだけは完結したいんです。

「素盞嗚の古代通史」

いつの日か、

学校の教科書がこんな風になったら・・・

そんな思いで書きます。

 

対外的に「倭国」と認識されていた中心地は、

701年までは九州北部(大宰府)にあった。

これはもう確信の域に達しました。

さて、では「磐井」は天子を名乗った後、

わが国はどうなったのか?

一番大きかった問題は、西暦589年の南朝の滅亡です。

時の天子「タリシヒコ」は、

7世紀に入って、ついに対外的にも「天子」を宣言しました。

いわゆる宿敵、北朝系の「隋朝」に挑戦状を送ったんです。

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、

 恙無きや」と。

この瞬間から、倭国と隋とは冷戦状態になるわけです。

一方、このことを「大和」はどう受け取ったか?

時の「大王」は「推古」。

そしてその補佐役(摂政)は厩戸皇子だ。

パートナーは蘇我氏・・・・

この蘇我氏が問題なんだけど、

素盞嗚氏は、この蘇我氏は、

実は九州倭国から派遣された氏族だと思っています。

だから「タリシヒコ」の対隋外交の姿勢に対しても

この時点では賛同していたと思うんです。

しかーし!

大和を倭国系蘇我氏に牛耳られることを

快く思っていなかった物がいた。

中大兄皇子(後の天智天皇)だ。

大国「隋」に楯突いて、いいことないぞ!

そしてさらに思ったのは、

この挑戦的外交を利用して、

この「大和」から「九州倭国」色を追放しよう!と・・・・

天智はその駆逐するタイミングを

虎視眈々と狙っていた。

そしてそのチャンスがついに来た!

時は西暦645年!

 

 

 

おっと、明日は4時半起きや。

名古屋で終日缶詰研修ッス・・・・

現金報酬♪

うううう、

名古屋といえば、パチパチ・・・・

 

SEE YOU NEXT TIME

 

 






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Last updated  Sep 12, 2006 11:07:29 PM
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