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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史レポート
コイツら・・・・・ ヘンだけど、どこかで「感じた」ことがある・・・・
特にこの左側のヤツ。
この髪型・・・
・・・・
せや!
コイツや!
ロビントロワー
顔はヘンだけど、 白いジミヘンって言うようなギターを弾くんです。
さて、西暦645年。 満を持して中大兄皇子(天智天皇)と、 その影の参謀中臣鎌足は、 ついにクーデターを決行した。 世に言う「大化の改新」。 でもこの言い方はヘンなんです。 研究者の間では、この事件を 「乙巳の変」(いっしのへん) と呼びます。 中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺した事件ですな。
なぜ「乙巳の変」を「大化の改新」と言い直したのか? 要するに「変」とはクーデターのことなんですが、 近畿天皇家絶対主義の立場から言うと、 天皇家が臣下たる豪族(蘇我氏)を殺害するのを 「クーデター」とするのはいかがなもんか・・・・ 本来「クーデター」ってーのは、 下の者が上の者をゲリラ的に倒すことを言うので、 「変」を使うのは適切ではない。 その思いから、 本来の名称を使わないようにしたと考えられます。 でも事実は「変」、 クーデターなんですよね。 「蘇我氏」が上、 「天皇家」が下。 この構造だったんです。 しかし蘇我氏が九州倭国の人間だったとすると、 このクーデター勃発を受けて、 本国たる九州が黙ってる訳がない! しかーし! 九州は動かなかった・・・・・ なぜか? 影で謀略を練っていた鎌足は、 絶対九州が動かない、その瞬間を狙って 行動を起こしたんです。 それはまさに1400年後に起こした、 満州事変のようだったんです・・・・ 中臣鎌足・・・・ そして石原莞爾。 どうもこの二人がダブってきますゾ!
うーん・・・・ どうも手際よく話しを進められませんなぁ・・・・ 早いとこひと段落させて、 「スーパーモデル素盞嗚」 にいきたいんですが・・・・・ すまんこってすが、 もう少々お付き合いの程を♪ 富本銭にもつながりますんで♪
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