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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Sep 28, 2006
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テーマ:日本の歴史(1071)
カテゴリ:古代史レポート

ピンポーン!

はいはーい♪

ガチャッ!

「まいど!朝○新聞ですけど。

 一ヶ月でもお付き合いしてもらえませんか?」

「なんで、見ず知らずのオドレにワシが

 付き合わなくちゃならんのんかい。

 ワシャー右翼やど!」

 

 

 

 

こわいぞ!.jpg

 

 

・・・・・

 

まったく懲りない連中ですわ。

 

でも、このセリフだと、

イッパツで帰ります♪

 

ちゅーことで7世紀。

 

中大兄皇子と鎌足は

まんまと入鹿暗殺に成功したんですが、

入鹿が九州倭国の人間だったなら、

なぜ、本国の九州は大和を征伐しに来なかったんでしょうか?

普通、報復に来るだろうし、

鎌足だって、そのへんは読んでたはずだと思いませんか?

でも、九州からの派兵はなかった・・・・多分。

 

これはね、アジア情勢の問題だったと思うんです。

倭国王「タリシヒコ」は南朝系の「隋」「唐」を天子と認めず、

自ら「東海の天子」を名乗ったことから、

ある意味で東アジアは、

中国派と倭国派に二分され、

冷戦状態にあったと考えられます。

倭国派は「百済」と朝鮮半島南部の小国郡。

中国派は「新羅」「高句麗」。

(高句麗は独立色が濃かったけど)

乙巳の変は645年6月だったんですが、

その数年前に半島南部を巡って、

「百済」と「新羅」がドンパチ始めちゃったんです。

「百済」と「倭国」は今の日米関係みたいなモンだから、

倭国はこの半島紛争に悩殺されてたと思うんです。

そんな矢先に自国の分国である大和で

クーデターが起こった・・・・

九州本国に早馬が走ったと思うんですが、

半島問題で兵を裂くわけにもいかず、

恐らく地団駄踏んで静観するしかなかった・・・・

国際感覚豊かな鎌足は、その状況を見逃さず、

一気にクーデターを敢行した!

恐るべし、鎌足!

 

実はこの状況は、

昭和の天才参謀と歌われた石原莞爾が決行した

満州事変の状況とソックリなんです。

世界最終戦争は「日本」VS「米国」と予言していた彼は、

その最後の戦いに備えるべく、

大東亜共栄圏を確立するために

どうしても必要だった満州をたった一晩で制圧しちゃうんです。

日本が満州を制圧することには、

欧露は絶対の危機を持っていた。

しかしドイツが欧州内で大暴れして、

欧露が悩殺されているその間隙を縫っての

満州事変だったんです。

石原莞爾に勝るとも劣らず!

 

智謀鎌足の真骨頂!

とでも言うべきクーデターだった・・・・

 

・・・・・

 

素盞嗚氏はしばらくそう思い込んでいました。

でも・・・

拭えない疑問がいくつも沸いてきました。

1.じゃーなぜ、クーデター後に

  中大兄は皇位につかなかったのか?

2.皇位についた中大兄の叔父「軽皇子」(孝徳天皇)は

  なぜ、飛鳥から難波に遷都したのか?

3.クーデターのたった7ヶ月後に

  あれだけ画期的な改新の詔を書けるものだろうか?

 

いろいろ考えてみたんだけど、

どうも乙巳の変は成功してないんじゃないか・・・・

この新たなる仮説の証明にチャレンジしますぞ!

 

さて、これから東京に行ってきます。

クーデター・・・・

もとい!

改革のための打ち合わせッス♪

 

今日も呑むぞぉ!

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Sep 28, 2006 11:23:10 AM
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