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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Nov 6, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

この分だとスーちゃん、

年を越せない・・・・

がんばって仕事せねば・・・・

 

さーて昨日、「大化の改新」は645年にはなかった!

そう書いたけど、

その証明としての「九州年号」。

まずは、その九州年号を徹底的に解剖していきます。

その存在が九州倭国説の証明にもなるしね。

主な資料は古田武彦氏、古賀達也氏の研究を元にしてます。

 

さてまずは、「九州年号」とはいったいなんぞや?!

ってところからいきます。

そもそも年号を発布するってーことは、

時の「国家」の最高権力者のみに

与えられた特権なんです。

以前にも書いたけど、

この年号と「律令」、「通貨」の発行が

その三点セットなんですね。

そして年号の大きな意味とは、

その「連続性」にあるんです。

 

では、我が日本国の年号とは、

いつからあるんでしょうか?

日本書紀に書かれていることが定説となってますが、

まずは西暦645年の「大化」、

その後「白雉(ハクチ)」と続いて、しばらく断絶・・・・

686年、忘れたころに「朱鳥(アカミトリ)」が1年。

そしてまた断絶・・・・

701年、文武天皇の時に「大宝」と名付け、

その後約1300年間、綿々と「平成」まで続いてるんです。

この「大宝」から「平成」までの連続性を見る時、

現在の天皇家の歴史を脈々と感じることができますよね。

ところが、「大宝」以前の3つ年号・・・・

これはいったい何なんでしょうか?

同一王朝内での年号の断絶・・・・

そんなことがあり得るんでしょうかね?

中国文化を取り入れていたこの時期、

この断絶は普通あり得ないんです。

ここに何か大きな隠された真実があるように思います。

そこで大きなヒントとなるのが、

九州年号と言われる年号なんです。

これは、日本の正史たる日本書紀に

全く記載されていない年号なんです。

ではこの「九州年号」、いったいどこに書かれていたんでしょう?

実は平安時代以降の様々な書物に紹介されているんです。

有名なものには「二中暦」「海東諸国紀」「本朝皇代記」など、

10点以上の資料に紹介されてるんですね。

これら資料に掲載されている「九州年号」、

研究者の間ではどのような扱いを受けてるんでしょうか?

・・・・

ズバリ!

偽年号・・・・

 

次回はなぜ偽年号のレッテルを貼られたのか?

ってーことと、その年号の一覧を書きますね。

 

さーて、明日は久しぶりの熊谷や。

「義深会親分」と「新米大工」さんと

ジャブジャブやってきまーす♪

ねーお二方・・・・

お願い!仕事もちょーだい・・・・

SEE YOU NEXT TIME

 






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Last updated  Nov 6, 2006 11:43:13 PM
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