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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Nov 12, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

最近が聞きなれない国名は増えましたよね。

なかなか覚えられない・・・・

昨日の女子バレーの相手もそうだよね。

 

 

シルビアなんて喪黒

シルビアなんて喪黒・・・・

 

ザビエル

ザビエルなんてまっ黒・・・・・

・・・・・

しかし、今回の女子バレーは気合入ってますなぁ。

高橋もかっちょいいけど、

やっぱりカオル姫が好き♪

がんばれ、ニッポン!

 

さて、九州年号ッス。

古田氏が言う「二中暦」と丸山氏の「丸山モデル」、

どっちが正しいのか?

地中から出土した遺物から検証してみます。

ちなみにこの2説の大きな違いはどこにあるのか?

丸山モデルには「朱鳥」がなく、

「大化」が西暦686年から6年続いて、

その後「大長」が692年から9年続くことになってるんです。

一方「二中暦」では、

686年から「朱鳥」が9年続き、

次いで「大化」が695年から6年続く。

そして「大長」はない。

要するにこの2説の大きな違いは

「朱鳥」の有無なんです。

丸山モデルのように「朱鳥」がないとすると、

実は2点の深刻な矛盾が生じるんです。

1つは、日本書紀に見える3つの年号、

「大化」「白雉」「朱鳥」。

丸山はこの3つのうち、「大化」と「白雉」は

九周年からの「盗用」としてるのに、

「朱鳥」だけは書紀編者の「造作」と

しなければならないという、一貫性のなさだ。

そしてもう一つもっと深刻な矛盾があるんです。

それが「鬼室集斯墓碑」に刻まれた

「朱鳥三年」の問題だ。

ここで、「鬼室集斯墓碑」について簡単に説明しますね。

江戸時代後期、近江国蒲生郡で見つかったんです。

こんなヤツです。

墓碑

鬼室集斯ってーのは人の名前です。

おそらく百済の帰化人でしょうね。

今でもその子孫がいるらしいんです。

墓碑ってのは、わかりやすくいうと

「墓石」に刻まれた文字ですね。

墓石に、そこに眠っている人の名前、

いつ死んだか、誰が立てたか、

なんかが、石に刻んであるんです。

上の写真をよく見てください。

ここには

「朱鳥三年戊子十一月八日」って書いてあるんです。

これの真偽論争も随分前からあったんですが、

詳しい検証は割愛しちゃうけど、

どうもこれはホンモノらしい。

この意味することは大きい!

まずは丸山モデルの崩壊です。

そしてもう一つは

「日本書紀」の偽造・・・・

書紀ではこの「朱鳥」は

西暦686年の1年だけなんです。

元年で終ってる訳で、

ここに出ている「朱鳥三年」はないんです。

日本書紀の「大宝」(701年)以前の

3年号に疑惑がかかってくるんですね。

書紀は何か目的をもって、

敢えて九州年号の「朱鳥」を1年だけ、

盗用したんです。

なぜか!?

・・・・

その答えの前に 

もうひとつの金石文である、

「大化五子年土器」を検証してみます。

 

さて、今日はこれからソフトの練習!

ボチボチ寒くなってきました。

風邪ひかないように気合入れていってきまーす♪

SEE YOU NEXT TIME

 






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Last updated  Nov 12, 2006 10:42:41 AM
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