511557 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

素盞嗚

素盞嗚

Category

Archives

Oct , 2024
Sep , 2024
Aug , 2024
Jul , 2024
Jun , 2024

Keyword Search

▼キーワード検索

Nov 25, 2006
XML
テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

「お風呂家訓」で気をよくした嫁素盞嗚、

調子こいて家訓第二弾を出したゾ・・・・

 

 

素盞嗚家 家訓 その2

大も小も便器に座って

用を足すべーし!

 

どうも大きいモンで、

飛び散るようでぷ・・・・

 

 

えーと、古代史。

ここんところ書いてた九州年号関連、

どうもあんまりウケがよくないんで、

中止ッス・・・・

7世紀にあった「大化」「白雉」「朱鳥」、

コイツ全部、九州倭国の盗用なんです。

まー細かいことはヌキにして、

そー認識してくらはい。

詳細を知りたいっちゅーヒトは、お問い合わせくらはーい♪

 

んで、今回から法隆寺のこと、いってみます。

法隆寺って言って、日本人で知らない人はまずいないですよね。

現存する世界最古の木造建築。

あの聖徳太子が建立した寺ですね。

実はこの法隆寺、

日本書紀によると、一回火事で燃えちゃってるんです。

聖徳太子によって最初に創建されたのは607年。

その後669年に焼失して、8世紀のはじめに再建された。

これが現在の定説なんです。

でも戦前は「法隆寺再建論争」ってーのがあって、

大多数の建築家や研究者は、

「法隆寺は焼けなかった」

そう言ってたんです。

なぜなら、飛鳥様式の法隆寺が厳然とそこにあるじゃないか!

そう言ったんですね。

それに対して、

喜田貞吉という学者だけは孤軍奮闘、

「法隆寺は焼けた!」そう言ったんです。

なぜかというと、

日本書紀の天智9年(669年)に

「法隆寺は一屋余さず焼けた」

そう書いてあるじゃないか。

焼けていないものをわざわざ焼けたと書く訳がない。

それが喜田の主張だったんです。

結果はいかに!

その後法隆寺とすこしズレたところから、

若草伽藍が発掘されたんですね。

それをもってほぼ決着が着いたんです。

法隆寺は焼けて、再建されたと。

めでたし、めでたし♪

・・・・・

と言いたいところなんですが、

ここで新たな疑問が湧くんです。

日本書紀に書かれた法隆寺焼失記事は正しかった。

その記事には

「一屋余さず焼けた」

と書いてある。

丸焼けですな。

それで、再建したのはいいけど、

現在も現存する法隆寺の本尊である、

釈迦三尊像って、燃えなかったの?

この疑問です。

建物が丸焼けになって、

本尊だけが燃えなかったなんて考えられないですよね。

百歩譲って、火炎の中を何とか

外に持ち出したとしたら、

その功績を日本書紀に書かない訳がない。

そう思うんです。

事実は本尊も焼けた・・・・

素盞嗚氏はそう思っています。

では、現存する釈迦三尊像はいったい・・・・・

 

 

嫁素盞嗚が帰って来ない・・・・

腹減った・・・・

 

明日は久しぶりの長野です。

セミナーやったり、

パネルディスカッションの司会やったり・・・

一杯やりながら原稿を考えるとしますか♪

 

SEE YOU NEXT TIME






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Nov 25, 2006 07:40:25 PM
コメント(22) | コメントを書く
[古代史レポート] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X