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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
「お風呂家訓」で気をよくした嫁素盞嗚、 調子こいて家訓第二弾を出したゾ・・・・
素盞嗚家 家訓 その2 大も小も便器に座って 用を足すべーし!
どうも大きいモンで、 飛び散るようでぷ・・・・
えーと、古代史。 ここんところ書いてた九州年号関連、 どうもあんまりウケがよくないんで、 中止ッス・・・・ 7世紀にあった「大化」「白雉」「朱鳥」、 コイツ全部、九州倭国の盗用なんです。 まー細かいことはヌキにして、 そー認識してくらはい。 詳細を知りたいっちゅーヒトは、お問い合わせくらはーい♪
んで、今回から法隆寺のこと、いってみます。 法隆寺って言って、日本人で知らない人はまずいないですよね。 現存する世界最古の木造建築。 あの聖徳太子が建立した寺ですね。 実はこの法隆寺、 日本書紀によると、一回火事で燃えちゃってるんです。 聖徳太子によって最初に創建されたのは607年。 その後669年に焼失して、8世紀のはじめに再建された。 これが現在の定説なんです。 でも戦前は「法隆寺再建論争」ってーのがあって、 大多数の建築家や研究者は、 「法隆寺は焼けなかった」 そう言ってたんです。 なぜなら、飛鳥様式の法隆寺が厳然とそこにあるじゃないか! そう言ったんですね。 それに対して、 喜田貞吉という学者だけは孤軍奮闘、 「法隆寺は焼けた!」そう言ったんです。 なぜかというと、 日本書紀の天智9年(669年)に 「法隆寺は一屋余さず焼けた」 そう書いてあるじゃないか。 焼けていないものをわざわざ焼けたと書く訳がない。 それが喜田の主張だったんです。 結果はいかに! その後法隆寺とすこしズレたところから、 若草伽藍が発掘されたんですね。 それをもってほぼ決着が着いたんです。 法隆寺は焼けて、再建されたと。 めでたし、めでたし♪ ・・・・・ と言いたいところなんですが、 ここで新たな疑問が湧くんです。 日本書紀に書かれた法隆寺焼失記事は正しかった。 その記事には 「一屋余さず焼けた」 と書いてある。 丸焼けですな。 それで、再建したのはいいけど、 現在も現存する法隆寺の本尊である、 釈迦三尊像って、燃えなかったの? この疑問です。 建物が丸焼けになって、 本尊だけが燃えなかったなんて考えられないですよね。 百歩譲って、火炎の中を何とか 外に持ち出したとしたら、 その功績を日本書紀に書かない訳がない。 そう思うんです。 事実は本尊も焼けた・・・・ 素盞嗚氏はそう思っています。 では、現存する釈迦三尊像はいったい・・・・・
嫁素盞嗚が帰って来ない・・・・ 腹減った・・・・
明日は久しぶりの長野です。 セミナーやったり、 パネルディスカッションの司会やったり・・・ 一杯やりながら原稿を考えるとしますか♪
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