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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Dec 4, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

土曜日は品川沖から

屋形船でイッパイやってきました。

120人乗りのデッカイ船・・・・

素盞嗚チームは男5人、女5人・・・・

むふふ・・・・

フィーリングカップル5対5じゃー!

 

 

相手は20代が二人と30代二人。

んで、40台後半のおかーちゃんが1人・・・・

料理もなかなかよかったし、

スタッフの対応も見事!

なかなかナイスな夜でした♪

 

さて、これから始まる

7世紀後半の大胆予測、

素盞嗚氏の妄想一直線を語っていきまする。

相変わらず日本書紀の下巻がないんで、

多少あやふやなところもあるけど、

妄想一直線っちゅーことでお許しくんさい。

前回の2つの疑問、

タリシヒコの釈迦三尊像をなぜ法隆寺に持ってきたのか?

バレバレの光背銘をなぜ消し去らなかったのか?

この答えを探っていく前に

まず法隆寺が焼失したこの7世紀後半が

どう言う時代だったかを見ていこう。

法隆寺の焼失は西暦669年。

その6年前、国運をかけた大戦争があったんですね。

白村江の戦い

このことだけでも本が1冊書けちまうけど、

今回はサラッと解説します。

1)この頃の倭国は百済と同盟関係にあった。

2)新羅は唐と同盟関係を持って百済をやっつけたかった。

3)朝鮮南部の鉄資源をめぐり、倭国はその権益を確保したかった。

4)唐は朝鮮半島と倭国を従順な臣下としたかった。

5)百済は倭国の利害を利用しながら自国の安定と新羅の排除をしたかった。

6)倭国はタリシヒコが「日出づる処の天子」を名乗ったことで、

 唐とは7世紀前半から対立。冷戦状態にあった。

倭国・百済・唐・新羅の4国の関係はおおよそこんな感じ。

位置関係はこんな感じです。

古代三国

 

そしてついに663年、

百済の熊津を戦場とした一大決戦が繰り広げられたんです。

倭国・新羅軍VS唐・百済軍。

日本書紀によると、(素盞嗚氏の記憶による)

時の大和の天皇、斉明は60代後半の高齢女帝だ。

この斉明は決戦を前に自らの老体を押して

大和から筑紫まで行軍を進めたという。

しかし筑紫の岡田宮で病没・・・・

素盞嗚氏はこの死を暗殺と見てます。

詳細はいづれ・・・

ここで書紀では、それでも中大兄皇子を中心に

軍船を進めたかのように書かれてるんですが、

その真偽も実に怪しいんです。

備中国風土記を見てみると、

この白村江参戦のために、

備中国からなんと2万人の兵士が

筑紫に参集しようとしていたんだけど、

斉明の病没を理由に兵を撤収させているんです。

この記事は実に重要な意味を含んでいますね。

備中国の兵士は九州倭国の要請で

2万人の兵士を派兵しようとしていたのに、

倭国王ではなく、大和の斉明の死(喪に服する)

を理由に撤兵してるんです。

ということは大和の兵はどうしたんでしょうか?

大和の斉明が死んで、

備中の兵が撤兵したのに

大和の兵は撤兵しない・・・・

そんなことはありえないですよね。

要するに斉明の喪に服することを理由に、

最低でも備中と大和の兵は引き上げてないとおかしいんですね。

恐らく鎌足辺りの差し金で斉明は暗殺されたんじゃないでしょうかね。

結局、九州倭国軍は

備中・大和の兵をかいた、九州中心勢力で

海を渡り百済の「熊津」に結集。

ついに「唐・新羅」と激突します。

結果はいかに!

4度戦い、4度負けた・・・

大敗北を喫しました。

この時の倭国軍の総大将は

「筑紫の君 薩夜麻(サチヤマ」と書紀には出てきます。

「筑紫の君」・・・・・

どこかで聞いたことがあるような・・・・

そう、あの磐井も「筑紫の君」と言われていましたね。

そうです。

日本書紀の編集姿勢から言うと、

「九州倭国」の存在を抹殺しようとしてますから、

当然「倭国王」とは書けない。

だから「筑紫の君」としてるんです。

「筑紫の君 薩夜麻」とは九州倭国の天子、

あの「東海の天子」を名乗ったタリシヒコの末裔なんです。

その薩夜麻は、なんとこの白村江の戦いで

捕虜の身となってしまうんです。

のちに倭国に帰国を果たすんですが、

恐らくこの戦いから長い間、行方不明とされていたと思います。

これが法隆寺焼失の6年前の事件です。

この大敗北のあと、倭国や大和はどうなっていくんでしょうか?

 

次回から素盞嗚の大妄想の爆裂だ!

 

腹減ってきた・・・

ちっとラーメン喰ってきまーす♪

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Dec 4, 2006 12:45:16 PM
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