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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Dec 23, 2006
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

今日は子素盞嗚1号の誕生日。

17年前、新潟は十日町の病院で

初めて産声を上げた瞬間、

その声はまだアタシの耳朶に残っとります。

初めて見た自分の分身、

・・・・

「気持ちワル・・・・」

そんな子がもう17歳です。

今日はJALのマイレージで稼いだ

「毛ガニ」2はいが届きました♪

はーやく喰いたいじゃーん♪

 

ちゅーことで昨日の続きッス。

時は西暦771年、

九州北部、倭の都では

唐の占領軍、2000人が闊歩していた。

唐の思惑はなんだったのか?

当初は大和にいた天智に倭国を治めさせよう、

そう思っていたのに、

どうも天智にはその能力も人望もなかった。

占領軍の大将「郭務そう」が次に考えたこと、

それは、大和を見限り、

九州倭国の「親唐」派と手を結ぶことだった。

一方、大和生まれの倭国人、

大海女皇子(天武)は

唐と手を握ることで親(蘇我入鹿)の仇を討ち、

混乱の倭国をまとめたいと考えていた。

そんな思いで大海人は大和から一路、

九州にいる「郭務そう」に会いに行った。

大海人と「郭務そう」の思惑が一致した瞬間だ。

「郭務そう」は戦後の倭国の処理については、

倭国を滅ぼそうとは思っていなかったと思うんです。

「倭国」という国は残し、

その権力者を「親唐」派にする、

それでいいと思っていた。

だから、凡庸な天智じゃなくてもよかったんですね。

だから倭国は

百済のように消滅せずに済んだんですね。

 

大海人は唐の後押しの約束を取り付け、

歓喜の中で歌を読んだんです。

それが昨日書いた例の歌。

 よき人の よしとよく見て よしと言ひし

 芳野よく見よ よき人よく見

この歌のキーワードは

「よき人」と「芳野」だ。

この「芳野」、なんの疑いもなく

奈良の「吉野」と思われてたんです。

素盞嗚氏もそう思ってました。

どうもそれが呪縛だったんです。

それでまず「芳野」じゃなくて、

「よき人」から考えてみました。

これ、万葉仮名では

「淑人」と書かれてます。

大海人はこの「淑人」に明らかに逢っている。

そういう書き方をしている。

では「淑人」とはどういう人か?

これはただの良い人」という字面じゃないですね。

ズバリ「身分の高い人」、

そういう意味と考えて間違えないといえます。

この西暦770年前後において、

大海人より身分の高い人とは

いったい誰なのか?

実を言うと初め素盞嗚氏は、

771年に帰国した「薩夜麻」だと思ってたんですか、

どうもそれでは整合性が取れない。

では誰か?

・・・・・

そう、

唐の大将「郭務そう」だ!

大海人は九州北部で「郭務そう」と会談した。

そこで唐の協力を取り付け、

歓喜の中でこの歌を読んだ。

「淑人によし!と言われた」

そう歌ったんですね。

 

では次なるキーワード「芳野」は?

二人の会談場所は九州だ。

奈良の芳野とは考えられない・・・・

では九州倭国の中心地に芳野があるのか?

あるんですな、これが。

そう、あの有名な「吉野ヶ里」、

あの一帯は芳野(吉野)と言われていたんです。

そしてこの二人の会談の中で、

かつての倭国の天子、「薩夜麻」の話が出た。

大海人は兵力の結集のため、

どうしても「薩夜麻」を神輿に乗せたかったんでしょう。

そして「郭務そう」も条件付で了解をした。

その条件は「薩夜麻」を天子に返り咲かせないこと、だ。

(ここはカンペキに想像でぷ)

かくして大海人は九州から大和に帰ってきた。

そこで病に伏していた天智に呼ばれるんです。

ここは日本書紀で有名な場面ですね。

「オレ、もうダメみたいだから、

 お前が天皇やってくんない?」

そう言われるんだけど、

「その手は桑名の焼きハマグリ!」

大海人は、天智の狡猾な誘いには乗らず、

「いやいや、アナタのために出家して、

 吉野にこもりますワ♪」

そう言って天智の元を離れ、

「吉野」に引きこもるんです。

ん?

ここでも「吉野」が出てくる・・・・

大海人が引きこもった「吉野」って、

本当に奈良の吉野だったんだろうか?

これが素盞嗚氏の次なる問いです。

いよいよ壬申の乱の勃発じゃー!

 

今日は5年生大会の2回戦、

ブルーマリーン戦。

勝てばベスト4。

むふふ、

勝ちましたぞぉ!

8対3。

明日は準決勝と決勝だ!

がんばれ瀬ケ崎フレンズ!

 

早くカニ喰いたーい♪

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Dec 23, 2006 04:38:17 PM
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