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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
今年は新潟で雑煮を喰いました。 土地土地によって雑煮も違うんですよね。 素盞嗚家はお吸い物系の汁。 具は鶏肉、ごぼう、人参、大根、椎茸、鳴門、三つ葉。 そこに餅を入れて喰う・・・・・ 実は今年喰ってないんです。 新潟の嫁素盞嗚家では 味噌汁ベースなんです。 具はなんでもかんでも入れちゃうんです。 それもまー旨いんだけど、 でもやっぱり昔から喰ってる雑煮がいい・・・ 明日の朝、作るかね♪ みんなんちの雑煮はどんなんですか?
壬申の乱、久しぶりに行きます。 三森氏の「馬から見た壬申の乱」に 面白い検証があるんです。 三森氏は古代史の研究者ではあるが、 戦時中は「騎兵隊」のメンバーとして 大陸を駆け巡っていたという、 いわゆる「馬」の専門家なんです。 日本書紀には「馬」について 27個の記事が書かれていて、 日本の記録に残ってる最古の 騎馬による戦いといえます。 三森氏はこの27の記事と、 三浦昇一氏の「葦と弓と馬」、 黒岩重吾氏の「天の川の太陽」、 直木孝次郎氏の「壬申の乱」 から、馬の速力を測定したんです。 1.大海人皇子軍本隊 6/24吉野発から26日三重郡家まで。 総計160キロ 39時間 時速約4.1キロ。 吉野を出発して間もなく 「伊勢の荷駄50匹」に出会って、 馬から荷を下ろして、徒歩だったものも 乗馬して軍を進めた、と書いてあるんですが、 ここで三森氏はこう言っています。 「なんでもかんでも馬だったら乗馬できると思ったら 大間違いやど! 乗馬するには鞍や毛綱とかきっちり準備が必要なんじゃ。 駄馬が乗馬になることは絶対なーい!」 2.高市皇子軍 24日大津脱出から翌25日積殖山口まで。 60キロ 8時間 時速7キロ強。 これについて氏は、 「旧陸軍騎兵隊1日の行軍力が60~80キロで、 休みなしでの行軍は無理であーる。 しかも険阻な山道や峠道の多いこの戦では、 8時間ぶっとーしで時速7キロは無理であーる!」 この他、大分君恵尺軍、村国男依軍なんかも 現実離れした行軍をバッサリ否定してるんです。 また古代馬を現在の競走馬のように思ってはいけない。 古代馬は身体も小さく体力も今の馬とは 随分違うようだ。 「40キロぐらいで・・・・
い、いかん・・・・・ ソフトの「タオル監督」から連絡が入った・・・・ 「呑みに行くどぉ!」 「は、はい・・・・」
ちゅーことで中断・・・・ 続きはあとでね。 今年もよろしくぅ! SEE YOU NEXT TIME
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