511612 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

素盞嗚

素盞嗚

Category

Archives

Oct , 2024
Sep , 2024
Aug , 2024
Jul , 2024
Jun , 2024

Keyword Search

▼キーワード検索

Feb 12, 2007
XML
テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

どこかで見たような・・・・

はて、どこだったか?

この寺?

 

寺

 

 

・・・・・

 

 

 

ピカッ!

 

 

 

 

マイケル

 

こいつや!

似てない?

 

 

どうでもいいんですが、

天智の大和三山の続きいきます。

天智は自分の恋のせつなさを

大和三山の神話に乗せて歌にした・・・・

そう言われてるけど、

素盞嗚氏はもっと深い意味があるんじゃないか・・・

そう睨んでます。

その前にまず反歌2を解説しますね。

まずは通解。

「大海原に映える豊旗雲に

 入日が射すのを見て、

 今夜は月もさやかに照ってもらいたいものだ」

この反歌、大和三山の長歌に対する反歌として、

なんとなく違和感感じませんか?

どうにも脈略があるように思えない・・・・

一方は「山の歌」で、これは「海の歌」だ。

実は万葉集の編者も同じことを思ったようなんです。

その編者は原注にこんなこと書いてるんです。

「アタシャこの歌は反歌としておかしいと思うんだけど、

 『旧本』には反歌として載せてあるんで、

 納得いかないけどそのまま載せます」

なかなか正直なヤツですな。

でもここに書かれた「旧本」、

コイツはウッカリ野郎でもあるんです。 

万葉集以前のネタ本があることを

バラししゃってるんですから・・・

でも今回のテーマじゃないんで

またいつかこれについてはやってみます。

さて、この違和感はどういうことなのか?

やっぱり何かの間違いなのか?

いや、もう一度検証してみよう。

まずは作歌場所の確認だ。

一般に大和三山の歌は

大和で詠まれたものだと思われてるんだけど、

これおかしいですよね。

反歌1で「印南国原」っていってるんだから、

少なくとも反歌1は印南国原で詠まれたはずです。

じゃー印南国原とはどこか?

播磨国風土記に出てくるぐらいだから

播磨であることは間違いないでしょう。

んで調べてみると姫路の東に印南郡がある。

阿菩が出雲から大和に向かう途中としても

相応しいところですから、

まずこの印南郡と思って間違いないですな。

じゃー、反歌2はどこで詠まれたか?

そのヒントは第一句にある!

「つたつみ」だ。

一般的には単に「海」と解釈されてるけど、

これ「和田津海」じゃないかと思うんです。

そして神戸港の西に「和田岬」がある・・・

この反歌2、素盞嗚氏は

和田岬の辺りで詠まれたんじゃないかと睨んでます。

大和三山の歌を詠んだ前日に・・・・

要するにこういうことです。

何らかの目的をもって

大和から西に向かった天智が

その日の宿泊地である

和田岬辺りから入日を見て、

「今夜の月もきれいに照ってもらいたーい」と。

これは単に情景を歌ったんじゃなくて、

これからやらなければならない

難しい交渉ごとも

月がきれいに照るがごとくに

うまく進めたいものだ

と詠んだんじゃないか!

そしてその翌日、さらに歩を進め、

印南郡辺りに着いた時に、

「あぁ、ここはあの大和三山が争った時に

出雲からきた阿菩ちゃんが引き返したところだ。

因果なものよのぉ・・・」

と感じて詠んだ歌、そう思うんです。

調子に乗った素盞嗚氏、

もっと深読みして解説します。

 

時は白村江の戦いが終って九州は大混乱。

その機に乗じて一気に倭国を滅亡に追い込んで

我が大和の天下を狙う天智に

大きく立はだかる人物がいた。

天武だ。

その天武は九州の残党や唐の司令官に

コンタクトを取ってるみたいだ。

そこで天智は暗然とした勢力を保持する出雲、

ニギハヤヒ系氏族の協力を得るために、

自ら出雲に出向いた。

その旅の途中でまず和田岬に立ち寄り、

「この出雲との交渉如何で

 天下を取れるかどうかがかかってる・・・」

入日を見ながらそんなことを考えてた天智。

「なんとか上手くいかねーかなぁ、

 今夜の月がきれいなら、

 うまくいきそうな気がする♪」

そう詠んだ。して翌日。

「おぉ、ここはあの阿菩ちゃんがきた印南国原じゃん。

俺は阿菩ちゃんと逆ルートできたんだなぁ」

そんな想いで三山の歌を詠んだ。

しかもこれは単に恋の争いじゃなくて、

三山の三つ巴の戦いを

これから起こるであろう天武との争いをも

想定した歌だった。

 

そこで額田ちゃんだ。

少し前に額田ちゃんは

九州倭国出身だと書いたけど、

ひょっとしたら出雲じゃないか!

そんなふうにも思っちゃってます。

天智はこの大和三山の3つを

自分と天武と額田に当てながら、

実は大和と九州と出雲にもあててたんじゃないか!

そんな風にも思えませんか?

そして次の井戸皇子との歌から

さらに確信しちゃったんです。

次回さらに深く考えてみますぞぉ!

 

おっといけねぇ、

子供達の昼飯の買い物に行かねば・・・

午後はソフト♪

ではでは

SEE YOU NEXT TIME






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Feb 12, 2007 10:23:11 AM
コメント(21) | コメントを書く
[古代史レポート] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X