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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Feb 27, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

貧すれば鈍する・・・・

月末に金がなくなると、

どーにも嫁素盞嗚の機嫌が悪い。

ちっとしたことでもすーぐ怒る・・・・

それでアタシもイライラして、

つい爆発しちゃいそうになるんです。

でもそんな時はコレを言うと

イッパツで和んじゃいます♪

・・・・・

オクターブ上げて・・・

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

うっちぇーババァ!

 

 

さーて人麻呂。

以前もいくつかの歌を解説したけど、

これも滲みます。

「ささなみの歌」

我が心の師匠「古田武彦」氏の解釈を

ベースにやっていきます。

 

琵琶湖は歴史の湖である。

その湖畔に立てば、

往古のもやがたちこめてくる。

湖底に沈んだ人々のため息のように、

光と影が交錯し、

あの「失われた時」へと私たちを

引き戻してやまないのである。

琵琶湖・・・・

変人も住んでるけど・・・・

時は7世紀後半、人麻呂は歌った。

 

 ささなみの 志賀の大わだ 淀むとも

 昔の人に またも 逢はめやも

 

琵琶湖の西端、大津をかこむ湾、

それは今も深くよどんでいる・・・・

人麻呂が逢いたいという「昔の人」とは

いったい誰だろう?

・・・・・

もう一つ歌がある。

 

 ささなみの 志賀の辛崎 幸くあれど

 大宮人の 船待ちかねつ

 

この「大宮人」とは何だろう・・・

この地に「近江京」をおいた天智天皇、

その宮廷の人々のことだろうか・・・・

・・・・

何かおかしい・・・・

何かヘンだ。

志賀の辛崎の方は幸せだった、

今もそうだ。不変だ。

だけど、一方の大宮人のほうは・・・・

人麻呂はそう歌っている。

あえて「・・・あれど」と歌っているから・・・

そしてここも・・・

「船待ちかねつ」・・・・

大宮人の船は確かに

ここ、志賀の辛崎から出発した。

でも、ついに帰って来なかった・・・・

人麻呂はそう言ってるんだ。

船出したまま帰って来なかった

大宮人とは誰だったのか・・・

逢いたいけど、ついに逢えない今、

と言う「昔の人」とは誰だったのか・・・・・

 

ちょっと待て。

その「昔」とはいったいいつのことなのか・・・・

 

この歌は壬申の乱後、

人麻呂が荒れ果てた近江京にたたずんで

その栄枯盛衰を憂えた歌、

として認識されているけど、

本当にそうだろうか?

天智の近江京で、

帰って来なかった大宮人・・・・

壬申の乱で戦死した人たちのことだろうか?

でも壬申の乱は、この歌を詠んだ

数年前か、十数年前ぐらいだ。

それを「昔の人」と表現するだろうか?

もしかしたら、過去に

壬申の乱とは別に

「近江の悲劇」があったのではないだろうか・・・

この2首が単に天智の後継者たる

大友皇子(弘文天皇)に対する挽歌だけの意味なら

果たしてそんなに優れた歌と言えるのだろうか・・・

疑問は尽きない。

・・・・・

実はこの2首の前に長歌がある。

そこに隠された真実が埋め込まれていた。

1300年間、誰も人麻呂の心を読むことができなかった・・・

今ココにその人麻呂の心の内を解き明かしてみよう。

 

 

「あんた、いったいいつまでパソコンやってんのよ!

 早く洗い物してよ!

 洗濯機も回してくれるんじゃなかったの!」

 

・・・・・

 

 

「うっちぇーババァ、うっちぇーババァ!」

 

ちいさい声で言ってやりました・・・・

 

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Feb 27, 2007 09:36:20 PM
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