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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Mar 8, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

あれ?

ココどこ?

見慣れぬ風景・・・・・

ん?

茅ヶ崎???

・・・・・

やっちまったぁ・・・・

東京駅から横浜で降りる予定だったのに。

しかも上り電車はもうない・・・・

所持金4000円。

嫁素盞嗚に恐々電話。

・・・・

「あのさぁ、かくかくしかじかで・・・・」

「・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶわっかぢゃないの!」

 

「はい、バカでぷ・・・うっちぇーババァ・・・」

ちゅーことでタクシーに乗ることもできず、

ホテルに泊まる金もなし・・・・

トボトボと歩いて帰りました・・・・

何が悲しゅうて、46歳にもなって、

背広着て、

8キロの重たいカバン持って、

革靴で、

夜の夜中に歩かねばならんの・・・

推定距離、約30キロ。

茅ヶ崎から藤沢抜けて

鎌倉に入った辺りから、

足の裏が痛くなって、

ビッコ引き引き・・・・

鎌倉八幡宮を抜ける頃には

4時過ぎ・・・・

残り推定距離は9キロ。

この後、朝比奈峠っちゅー難所が待ってる。

さすがの素盞嗚君も気合が萎えたッス。

最後はタクシー乗って帰りました。

靴脱いだら、踵にまで血豆ができとりました・・・

いつまでたっても阿呆な男でぷ・・・・

 

 

えー、前置きが長くなりましたが、

琵琶湖の悲劇の続きッス。

神功皇后率いる反乱軍は、

正規軍たる忍熊王の近江軍を

琵琶湖は大津で殲滅し、

「忍熊天皇」は湖底に沈んだ。

しかし神功の参謀武内宿禰」は

まだ満足していなかったんです。

淡海の海 瀬田の渡りに 潜く鳥 

  目にし見えねば 憤しも

こう詠ったと残ってるんです。

要するに忍熊王は湖底に沈んだけど、

その死体を見るまでは安心できないって言ってるんです。

「探せ、探せぇ、忍熊の死体を探せぇ!」

こんな声が聞こえてくるような歌ですな。

そして数日後、あの忍熊王の遺骸が

宇治川に浮かんだ・・・・

武内宿禰は再び詠った。

淡海の海 瀬田の渡りに 潜く鳥

 田上過ぎて 宇治に捕へつ

眼前の勝利にも油断をしない、

その残忍な執念・・・・

まさに血も凍るような悲劇がここにあったんです。

さてここでまた、人麻呂の歌に戻ろう。

ささなみの 志賀の辛崎 幸くあれど

 大宮人の船待ちかねつ

近江朝第4代「忍熊天皇」と

その配下の「大宮人」たちは、

反乱軍追討のため、

この都の地を出発したけど、

ついに帰ってくることはなかった・・・

その幸崎を眼前に目指しつつ、

湖底に沈み、消え去ったのである。

人麻呂はこの忍熊の悲劇をベースに

もう一つの悲劇をダブらせていた。

それが壬申の乱、

天智のせがれ、大友皇子の悲劇だ。

人麻呂がこの歌に込めたメッセージは、

 

「悲劇は2度繰り返す・・・」

これだ。

この切ない無常観を詠ったのがこの歌だ。

 

次はこの歌の「ささみな」に込められた

人麻呂の想いをもう少し掘り下げてみたい。

 

えー、留置所女の続報が入りましたぞ!

あの肋骨骨折の真相!

このオンナ、マジでイカれとる・・・・

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Mar 8, 2007 11:21:53 PM
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