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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Mar 11, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

またオールマンブラザースバンドの

CDを買っちゃいました。

3枚組の2003年のライブと

2枚組の1970年のアトランタでもライブ。

去年の10月からもう20枚以上買ってます。

昔のデュアンもいいけど、

新生オールマンのデレクのスライドに

完全に首ったけになっちゃいました。

 

さて、トップページに載せた反歌2首。

ささなみの 志賀の大わだ 淀むとも

 昔の人に またも逢はめやも

ささなみの 志賀の辛崎 幸くあれど

 大宮人の 船待ちかねつ

ここに詠われた「ささなみ」、

素盞嗚氏は「志賀」にかかる

枕言葉だと思って何気なく読んでたんですが、

どうもそんな単純じゃない、

それにやっと気が付きました。

先に解説したこの歌の真の想い、

人麻呂が「昔の人」、「大宮人」と言ったのは

壬申の乱の時の近江朝の人ではなくて

神功、応神の反逆に敗れ去った

忍熊王の第一次近江朝の人たちを

偲んだ歌だと解説しました。

この神功軍VS忍熊軍の決戦の地、

これが何を隠そう「沙沙那美(ささなみ)」なんです。

日本書紀には以下のようなことが書かれてます。

「ここささなみで取れる農作物は進上物にはならない」と。

何しろ断腸の想いで敗れ去った人たちの

血をすすって成長した樹木、

その呪われた果実なのだから・・・

日本書紀の成立した8世紀初めの人々にとって

「ささなみ」とはそのような

呪われた地だったんです。

だから当時の人々が

「ささなみ」と聞けば、

あの忍熊王の悲劇が連想されたはずだ。

そう、「広島」と聞けば、

「原爆」「きのこ雲」を思い出すように。

人麻呂はこの「ささなみ」から始まる

2首を詠むことで、

読み手に対して忍熊の悲劇を連想させるように

敢えて「ささなみ」と詠んだ。

それに気付いた時、

人麻呂の歌人としての

類まれな才能を感じざるを得なかった・・・・

人麻呂恐るべし!

 

さて、これからソフトボールチームの

6年生を送る会に行ってきます。

泣かないように、

笑顔で送ってあげたいっす。

 

「あんまり呑み過ぎんじゃないわよ!

 どうせまた迷惑かけるんだから!」

 

「・・・・・うっちぇーババァ、うっちぇーババァ・・・・」

 

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Mar 11, 2007 12:40:19 PM
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