511619 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

素盞嗚

素盞嗚

Category

Archives

Oct , 2024
Sep , 2024
Aug , 2024
Jul , 2024
Jun , 2024

Keyword Search

▼キーワード検索

Mar 20, 2007
XML
テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

何やら最近

「タグ(3個まで)」

っちゅー表示が出てますが、

何のこってすか???

 

えーと万葉集に「中皇命」っていう名の人物が

出てくるの知ってます?

この謎の人物に迫りたいと思ってますが、

今日は少し脱線♪

 

通常「日本書紀」って言われてる文献、

こいつは「続日本紀」の養老4年(720年)5月の条に

「これより先、一品舎人親王、勅を奉じて日本紀を修す・・・」

とあって、「日本書紀」は「日本紀」っていうのが正式名称なんです。

ところがですね、この日本紀とは別に

もう一つの日本紀があったって説があるんです。

同じ続日本紀の和銅7年の条に

「・・・・・紀朝臣清人、・・・三宅臣藤麻呂に詔して

 国史を撰せしむ」

ってあるんですね。

あきらかに古事記とは別です。

太安麻呂じゃないですから。

それと万葉集の巻1,44歌の原注には

「右、日本紀に曰く、朱鳥6年・・・・」

ってあるんですが、

我々が知っている日本紀では

朱鳥という年号は1年しかないんです・・・

ちゅーことで別の日本紀のことを調べてみたら、

思いがけないところからその痕跡を発見しました。

素盞嗚氏は学生時代、

実は日本中世史を選択していて

「鎌倉幕府権力下における立正安国論」って

卒論を書いたんです。

立正安国論ってーのは日蓮が書いたもんですね。

その日蓮の膨大な文書の中に、

日本紀のことが書かれてたんです。

次回、その文献の紹介をします。

 

かー、まだ仕事残ってる・・・・

もうひとふんばりッス。

SEE YOU NEXT TIME






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Mar 20, 2007 09:03:09 PM
コメント(18) | コメントを書く
[古代史レポート] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X