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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
泥酔して留置所にぶちこまれたオナゴ、 「ところで骨はくっついたの?」 「それがさぁ、すーさん聞いてよ! ぜーんぜんくっつかないのよ」 K嬢は肋骨と鎖骨を折ってんですが、 鎖骨はグチャグチャだったらしい・・・・ 「さすがのアタシもさぁ、あんまりくっつかないから 医者に聞いてやったのよ。 そしたらさぁ、そのヤブ医者、 なんて言ったと思う。 『マレにくっつかない人がいるんですよ♪ でも肩をグルグル回してたらくっつくかも♪』 だって。頭にきたから アタシも言ってやったわよ。 『ウソつくんじゃないわよ、ヤブッ!』 ぎゃはははは!」 「・・・・・・」 きっと医者に嫌われてると思う・・・・ 「ところでスーさん、こないださ、 っていってたじゃん。」 「へい、情けねぇ話ッス・・・」 「そういう時はさぁ、 警察署の前まで行ってさぁ、 思いっきり寝ちゃえばいいと思わない? ぎゃはははは!」 「・・・・」 このオナゴ、留置所をホテル代わりにするつもりらしい。 恐るべし、留置所女、 今度は何をやらかしてくれるのか! 観察に余念のない素盞嗚君でした♪
えーと、もうひとつの日本紀、 日蓮御坊が残した膨大な文書の中に 「三論宗御書」というのがあります。 そこにこんなことが書いてあります。 「三論宗の始めて日本に渡りしは 34代推古の御宇治す10年壬戌の10月 百済の僧観勒これを渡す、 日本記の太子の伝を見るに異議なし・・・」 こいつは推古天皇10年10月に 百済の坊さんが「三論宗」を持ってきたって記事なんですね。 日本書紀を見ると、 確かに百済の観勒が来てるんだけど、 持ってきたのは 暦の本、天文地理の本、遁甲方術とあって、 三論宗とは書かれてないんです。 それを「異議なし」と言っている。 また日本書紀は「推古紀」であって 「太子の伝」とは言わないんです。 どうも日蓮御坊が見た「日本記」は 「日本書紀」とは別もののように思えます。
長くなったんで次回にしますが、 この他にも2箇所不審なところがあるんです。
さて、メシ喰ってソフトじゃー! SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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