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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Mar 24, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

泥酔して留置所にぶちこまれたオナゴ、

原チャリで自爆・・・脳挫傷・・・・

最近は元気に働いております。

「ところで骨はくっついたの?」

「それがさぁ、すーさん聞いてよ!

 ぜーんぜんくっつかないのよ」

K嬢は肋骨と鎖骨を折ってんですが、

鎖骨はグチャグチャだったらしい・・・・

「さすがのアタシもさぁ、あんまりくっつかないから

 医者に聞いてやったのよ。

 そしたらさぁ、そのヤブ医者、

 なんて言ったと思う。

 『マレにくっつかない人がいるんですよ♪

 でも肩をグルグル回してたらくっつくかも♪』

 だって。頭にきたから

 アタシも言ってやったわよ。

 『ウソつくんじゃないわよ、ヤブッ!』

 ぎゃはははは!」

「・・・・・・」

きっと医者に嫌われてると思う・・・・

「ところでスーさん、こないださ、

 茅ヶ崎から歩いて帰った、

 っていってたじゃん。」

「へい、情けねぇ話ッス・・・」

「そういう時はさぁ、

 警察署の前まで行ってさぁ、

 思いっきり寝ちゃえばいいと思わない?

 ぎゃはははは!」

「・・・・」

このオナゴ、留置所をホテル代わりにするつもりらしい。

恐るべし、留置所女、

今度は何をやらかしてくれるのか!

観察に余念のない素盞嗚君でした♪

 

えーと、もうひとつの日本紀、

日蓮御坊が残した膨大な文書の中に

「三論宗御書」というのがあります。

そこにこんなことが書いてあります。

「三論宗の始めて日本に渡りしは

 34代推古の御宇治す10年壬戌の10月

 百済の僧観勒これを渡す、

 日本記の太子の伝を見るに異議なし・・・」

こいつは推古天皇10年10月に

百済の坊さんが「三論宗」を持ってきたって記事なんですね。

日本書紀を見ると、

確かに百済の観勒が来てるんだけど、

持ってきたのは

暦の本、天文地理の本、遁甲方術とあって、

三論宗とは書かれてないんです。

それを「異議なし」と言っている。

また日本書紀は「推古紀」であって

「太子の伝」とは言わないんです。

どうも日蓮御坊が見た「日本記」は

「日本書紀」とは別もののように思えます。

 

長くなったんで次回にしますが、

この他にも2箇所不審なところがあるんです。

 

さて、メシ喰ってソフトじゃー!

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Mar 24, 2007 08:44:49 AM
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