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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Apr 11, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

久しぶりにシェーキーズのピザ喰いました。

高校時代は39枚の記録を持つ素盞嗚君、

最近は食は細くなって

15枚ぐらいしか喰えなくなりました。

まー、パスタは必ず2皿食いますが・・・・

 

さーて、中皇命。

トップページを見てくんさい。

枠組みの方法と

ルビのふりかたを覚えちゃいました♪

そんなことはどーでもいいんですが、

4つの不審、おさらいしましょう。

1.朝庭(あさにわ)問題

2.男女の姿態問題

3.奈加弭(なかはず)を金弭(かなはず)に

 読み替えた原文改定問題

4.中皇命の役割問題

以上の4点の不審、

この4点、これまでの定説では

絶対に解明できないんです。

今までの研究史が証明してますね。

これはやっぱり九州倭国説を根本に説くしかない。

ちゅーことで素盞嗚氏が注目したのは

「奈加弭」。

これを原文改定せずに

そのまま「なかはず」と読むべき、そう決めてました。

じゃー「奈加」とは何か?

これね、中皇命の「中」なんじゃないか、

そう考えたんです。

中皇命、彼を九州倭国の天子と考えると、

「中」は真ん中って概念じゃなくて、

地名なんじゃないか!

そう、那珂だ。

今でも大宰府の南に那珂川町ってのがありますね。

要するに「那珂」出身の天子だから「中(那珂)皇命」。

「那珂」で作られた「弭」だから「奈加(那珂)弭」

「博多らーめん」や「京人形」なんかと同じ考え方です。

それにこの歌の前書きに

「宇智の野」ってありますが、

原文では「内野」になってるんです。

通説の解釈では、この歌が詠まれた場所を

奈良の宇智郡にもっていってるんです。

でも中皇命を九州倭国の天子と考え、

奈加弭を那珂で作った弭と考えれば、

当然その作歌場所も九州じゃないかと思うんです。

「内野」を「宇智の野」とするのも

苦しい解釈だと思うんです。

んで、九州北部の地図をひっくり返してみると、

・・・・

あるんですな、「内野」が。

大宰府の奥に。

今でも筑豊本線に「内野」って駅名もあるしね。

一度現地に行って狩場に相応しい場所か

調べてみる必要はあるけど、

どうもこの歌の作歌場所は九州だったようですな。

そうすると、この歌のシチュエーションは

天子たる中皇命が、

配下である大和の大王舒明を

何かしらの用事で九州に呼んだ時に

「おーい舒明ちゃん、狩りに行かない?

 いいとこあんのよ♪」

なーんてことで狩りに誘った。

当然二人は伴の者を連れて行って、

舒明の伴の中には間人連老(まひとのむらじおゆ)がいた。

おそらくこの男は御用歌人として

九州まで名前の売れた男で、

彼の存在に気が付いた中皇命が

「おぉ、老か、

 なんか詠んでみぃ」

そんなことで詠ったのがこの歌だと思うんです。

こう考えれば、中皇命の役割が理解できますな。

 

さて、この歌が詠まれた背景が見えてきました。

いよいよ歌の内容に迫ってみよう。

問題の「朝庭」と「男女の姿態」。

次回に続くぅ!

 

今日はこれから横浜の山下公園の近くに行きます。

またピザ喰いに行っちゃおーかなぁ♪

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Apr 11, 2007 11:13:13 AM
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