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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
昨晩は10時までは我慢してたのに・・・・ イラ・・・・ イライラ・・・・ イライライラ・・・・・ イライライライラ・・・・・
きゃー!
辛抱たまらーん!
やっぱり呑んじゃいました・・・ 阿呆です・・・・
さて、金印。 甚平君が発見したのが天明4年(1784年)。 当時でも大騒ぎになったようですな。 まず最初に出てきたのは 「委奴=大和」説 「委奴」は「ヤマト」と読むんやぁ! 志賀島から出土したのは、 源平の合戦の時、 安徳天皇がうっかり落としちゃったでしょ。 なんと、発見当初はこんな愚にもつかない説が まかり通ってたんです。 でもさすがにそんなはずはない、 ってことで、あの有名な 上田秋成は 「委奴と云うは皇朝の称号にあらず。 ・・・・魏志に云う伊都国是れ也」 と言う「委奴=伊都」説を提唱したんです。 これが長い間定説化して明治25年まで続いたんです。 ところがこの年、 「金印のよねちゃん」こと、三宅米吉が 「漢委奴国王印考」を著して、 学界に巨石を投じたんです。 このよねちゃんの説については 次回じっくり書きます。
さて、今日は予定の仕事がキャンセルになったんで、 銀行回りと税務署に行ってきます。 午後からは事業計画書作り。 暗くなったら呑むべし! 今日は焼酎のトマトジュース割りにすっかな♪ SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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