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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
去年あれだけよかった日ハム。 新庄と小笠原が抜けて、 最下位に低迷しとりますが、 一人気を吐くダル! 昨日の完封もお見事! そうそう、 素盞嗚家にもダルがおります。 「いつまで寝てんのよ! トイレは行ったのぉ!? 食べたものは片付けなさいって 何回言ったらわかんのよ!まったくぅ!」 ・・・・ 毎朝シャワー浴びて出てくると あーじゃこーじゃとのたまって、 朝の嫁素盞嗚は実の凶暴であーる。 それも日課なんで慣れたけど、 嫁よ、ひとつだけ注文があーる。 頼むから着替えは脱衣所でやっておくれ・・・・ だからみんなにこう呼ばれちゃうんやど。
ダルマかーちゃん
きゃー、バラしてしまった・・・・ 絶対バレませんよーに・・・
えー、ちょっとドキドキしちゃいましたが、 金印ッス。 「漢委奴国王」を 漢の委奴(いど)の国王と読む、 これが素盞嗚説なんですが、 この「委奴」と対応する国があるんです。 漢の北方の国、 「匈奴(きょうど)」だ。 なんで今までの研究者が このことを言わなかったのか 不思議でしょうがないんだけど、 「委奴」と「匈奴」、 完全に対応してますよね。 「匈奴」の匈は「たけだけしい」って意味、 要するに凶暴な奴らの国ってことです。 対する「委奴」の委は、 「従う」とか「穏やか」って意味で、 従順な奴らの国ってことです。 漢では夷蛮の国の中で 一番厄介な国を「匈奴」と名付け、 一番扱いやすい国を「委奴」って名付けた。 この金印を与えた時の漢の国王は 光武帝だ。 この当時漢は匈奴と凄惨な戦いをしてたんです。 その匈奴に対し、倭はみずから帰順してきたんです。 だから光武帝は 「うーん、夷蛮の中でも匈奴のように 憎ったらしいのもいるかと思えば、 倭国のようにうい奴もおる」 そんな思いから委(倭)奴の字面を選んだ、 そう思うんです。 それからもうひとつ。 この頃倭人たちは自らの国を「委奴」と呼んでいたか? これですが、素盞嗚氏かNOだと思っています。 多分ただの「倭(い)」だったと思います。 それを光武帝が上記の匈奴と比較して 「委(倭)奴」を名付けた。 まー、こんなことじゃないかと思います。
さーて、これから請求書作って・・・ 夜はバンドの練習ッス。 5月19日のライブ、 全員集合だぁ! SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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