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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jun 10, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

最初は気の強い女と思っていた。

遠くから見つめることしかできなかった・・・

その整った顔立ち、

そしてしなやかな肢体・・・・

人妻なのはわかっているけど、

もうオレはお前に首ったけ・・・

・・・・

お前が好きだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

お吟

 

お吟!

一番警戒心が強かったのに、

最近はおさよと連れずに、

一人で近づくようになったね。

何度か「爪攻撃」で出血はしたけど、

もう手を出しても驚かなくなったね。

 

 

 

 

 

 

 

お吟3

そして今日はついに

手の上でエサを喰ってくれたね♪

 

 

 

 

 

 

お吟4

 

うおぉ!

お吟、

早くお前を抱きたーい!

 

相変わらず仕事が手に付かない素盞嗚です・・・

 

さて、九州倭国の新たなる証明です。

以前にも紹介した九州年号、

「二中歴」によると、

九州年号の始まりは「継体」だ。

西暦で言うと517年から始まってます。

この時期は近畿天皇家では

「オオド」が「応神王朝」を攻めて、

新たなる体制を立ち上げた頃です。

「オオド」・・・

後に淡海三船が

「継体天皇」と名前を付けた人物です。

なぜ九州年号の始まりの年号と

同じ「継体」を付けたのか・・・

これも実に興味深い問題だけど、

今回は触れません。

通常年号の始まりってーのは、

「建元」とか「正始」のように

「これから新たな始まりですよぉ♪」

って意味の漢字を充てるんだけど、

九州年号の始めは、

なぜか「継体」・・・

体制を継ぐって意味なんです。

なんかヘンですよね。

九州倭国は新たに年号を作り、

新たに出発を期したはずなのに、

なぜ「継体」などどつけたのか?

いったいどこの「体制」を継いだんだろうか・・・

それでいろいろ考えてみました。

九州倭国が継ぐべき体制ってどこだろう・・・・

近畿であるはずはないし、

半島の国々っていうのもあり得ない・・・

そうなると、考えられるのは「中国」・・・

もしくは年号を作る前の倭国の体制・・・

このいずれかしかあり得ない。

旧倭国の体制であれば、

残念ながら調べようがないので、

まず「中国」、との作業仮説を立てて、

検証してみることにしました。

この頃の中国はどうなっていたか?

南北朝に分かれて、

お互い、「我こそが正統なり!」

と宣言してた時代です。

そして九州倭国は

南朝こそが正統であり、

その南朝に臣下の礼を取ってました。

これが定説であり、

素盞嗚氏も当然そうだと思っていました。

ちなみに南朝ってーのは、

あの倭の五王で有名な「宋」から始まり、

次が「南斉」、「梁」、最後は「陳」の4王朝です。

「宋書」の倭国伝を読むと、

倭国が南朝の宋に臣下の礼を取っていたことが

よくわかります。

あまり有名じゃないけど、

「宋書」のあとに「南斉」「梁」「陳」も

それぞれ国書の編纂をしていてるんで、

まずこの3書の倭国関連記事を

精査してみることにしました。

そしたらね、

驚くべき事実がわかってきました!

 

お!

久しぶりにキムポンが来た!

最近お前は影薄いのぉ・・・・

 

キムポン1

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Last updated  Jun 10, 2007 05:18:07 PM
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