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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jun 21, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

北陸・北関東4日間の出張、

帰ってきましたぁ♪

大収穫の旅でした。

 

しばらく逢えなかったお吟たち、

どうしておることか・・・・

オフィス素盞嗚に到着。

サッシを開けたら

お吟とおさよがさっそくお出迎え♪

ふたり揃って手の上のエサをほおばってくれました♪

越後屋は3mぐらい離れて

こっちを睨んでおる・・・・

ふっふっふ、

越後屋め、あの時の恐怖が

忘れられないとみえるのぉ。

え、越後屋閉じ込め作戦の

顛末を聞いてないって?

それはそれはおっそろしかったですぞぉ!

でも今日は古代史ッス♪

 

白村江の戦いの8年後、

捕虜だった九州倭国王「薩夜麻」が帰国した。

なぜ唐はわざわざ薩夜麻を帰国させたのか?

時は西暦671年。

薩夜麻の帰国後、

近畿の天智は病没し、壬申の乱が勃発。

一般的には「天武の時代」と考えられてますね。

この間、薩夜麻はどういうポジションにいたんでしょうか?

ここでもう一度九州年号に戻ってみよう。

この660~670年代、九州年号は「白鳳」だ。

西暦661年から683年まで、

なんと23年間も続いている。

実は学生時代、

どうにも不思議に思っていたことがあるんです。

教科書を見ると、

この時代を「白鳳時代」と言ってましたよね。

「白鳳」ってなんだろう・・・・この疑問だ。

その前は「飛鳥時代」。

これは飛鳥を政治・文化の中心としていたんでよくわかる。

「白鳳」の後の「奈良時代」もよくわかる。

でも「白鳳」って何?

この説明って聞いたことないですよね。

近畿天皇家の年号でもないし、地域名でもない。

これね、九州年号からとった命名だったんですね。

脱線しましたが、この23年間続いた「白鳳」年代。

白村江も白鳳、

薩夜麻の帰国も白鳳、

そして壬申の乱も白鳳・・・・

なんで年号が変わらないんだろう・・・

他の九州年号を見ると、

ほとんどが4~5年で年号が変わってるんです。

この白鳳年号は白村江の前につけられてるんで、

その命名者が薩夜麻であることは間違いない。

その薩夜麻が帰国して、

年号が変わらないということは、

帰国後も「薩夜麻の時代」だった、

と考えざるを得ない。

仮に薩夜麻が帰国した時、

天武が中心権力者だったとしたら、

年号を変えないってことは考えられないからです。

実はここに唐の政治的意図があったんだと思います。

要するに倭国を間接統治するにあたって、

唐は、天智もダメ、天武もダメ、と判断して、

薩夜麻を利用しようとしたんです。

昭和の敗戦を考えてみてください。

アメリカは日本を間接統治するために

マッカーサーを送り込みました。

そして誰を利用したでしょうか?

そうです、昭和天皇ですよね。

そして年号はどうでしたか?

戦前も戦後も「昭和」で変わりなかったですよね。

ただ大きく変わったのは天皇の「存在意義」でしたよね。

戦前は「現人神」、前後は「象徴」・・・・・

この1300年前のできごとも、

実は昭和と同じだったんじゃないか!

これが素盞嗚氏の新たなる仮説です。

整理すると、

白村江の戦い後、倭国は唐の間接統治下にいた。

唐はその統治者として当初は

天智や天武と考えていた。

しかし結局うまくいかず、

捕虜だった倭国王「薩夜麻」を帰国させ、

唐の管理のもとに再度倭国王に復帰させた。

だから天武の浄御原宮にも、

持統の藤原宮にも大極殿がないんです。

日本書紀では完全に抹殺されてるけど、

この7世紀の末も、

唐のあやつり人形ではあるけど、

まだ倭国の時代だったんです。

だから行政単位が「評」から「郡」に変わったのも

701年なんですね。

この「廃評置郡」ともいう、

行政改革でも不思議なことがあるんだけど、

次回はこれに関連した

「古事記」の真実に迫りたいと思います。

 

明日は札幌出張、

今週来週は忙しいですぞぉ!

ちなみに昨日の高崎、

旧民家を改良したような

割烹料理屋でイッパイやってきました。

刺身が旨かったぁ・・・

むふふ・・・ 

明日はすすき野かぁ!

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Jun 21, 2007 05:28:48 PM
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