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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jun 28, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

今日は東京汐留の

松○電工のショールームに行ってきました。

オール電化、

随分進化してるんですね。 

見るとほしくなっちゃう。

絶対嫁素盞嗚には見せましぇんぞ。

 

えー、昨日の続きです。

古事記の成立は西暦712年。

九州倭国が滅亡して近畿天皇家が

わが国の中心権力者となってからの

初めての国書の成立だったんですね。

当然華々しくアピールがされたと思いますよね。

ところがドッコイ!

続日本紀を見ると

古事記のコの字も出てこないんです。

一方その8年後の720年に

日本書紀が成立したんですが、

これは続日本紀にきっちり書いてあるんです。

要するに続日本紀では、

日本書記は認めているけど、

古事記は認めていない・・・・

記録されずに抹殺されているんです。

なぜか?

712年時には古事記でよかったものが、

8年後にはダメになったってことです。

その8年に間に何があったのか?

8世紀前半の歴史は

基本的に続日本紀に書かれてます。

ここに面白いことが書かれてるんです。

 養老元年(717年)

 山沢に亡命して兵器を挟蔵し、

 百日までに首せずんば、

 罪に復すること初の如くす。

そしてこれに関連する記事として、

慶雲4年(707年)には、

上記の「兵器」が「軍器」として同文が書かれています。

次に和銅元年(708年)には

「兵器」が「禁書」として書かれてるんです。

これは何を意味しているのか?

山沢の亡命したのはだれか?

蝦夷か?隼人か?

それならそう書けばいい。

しかも「軍器」を持った亡命軍とは

いったいどういう人たちだったんだろうか?

これは具体的な名前を出せなかったから

亡命軍としか書けなかったんです。

軍器や禁書を持っていた亡命軍・・・・

こんなものを持っている亡命軍なんて普通ないんです。

考えられることは1つ。

この亡命軍は元は正規軍だった!

そう、ズバリ九州倭国の残党です。

彼らは707年にはまだ「軍器」を持っていた。

そして翌年には大方の「軍器」を

天皇側に奪われた。

しかし肝心の「禁書」は

まだ亡命軍(倭国軍)の手中にあったんです。

だから708年には「禁書」として書かれたんです。

では禁書とは何か?

本来の倭国の正史ですよ、これは。

でも天皇家にとっては禁書だったんですね。

天皇家にとっては、

この倭国の正史は絶対に抹殺しなくちゃならなかったんです。

天武が考えた「日本の歴史」と矛盾しちゃうからです。

そしてこの倭国の残党が持っていた禁書は、

708年から717年の間に

天皇家に取られちゃったんです。

禁書(倭国の正史)はついに天皇家に渡ってしまうんですね。

そして最後には「兵器」になるんです。

武器を捨てて出てこーい!

こういう意味なんですね。

実際に禁書が取られたのは

717年に限りなく近い時だったと思います。

禁書を取り上げたんで、

あとはおとなしく出て来い!

ってことですからね。

要するにこの禁書を取り上げたのは、

古事記と日本書記成立の

8年間の狭間に起こったんです。

禁書を手に入れた天皇家は次に何を考えたんだろう。

そのヒントを得るには

古事記と日本書記との違いを比較してみることだ。

古事記になくて日本書記に書かれていること、

またその逆。

一番大きな違いとは、

継体天皇から持統天皇までの歴史だ。

前述のように古事記には

継体天皇以降の説話がかかれていない。

天皇家はその歴史を書かなくちゃいけなかったんです。

でも正直に書くと九州倭国の存在を隠せなくなる・・・・

かと言って全くデタラメを書くこともできない。

そこで考えたのは「主語の入れ替え」だ!

天皇家は手に入れた倭国の正史を部分的に抜粋して、

日本書記に挿入したんです。

主語を変えて・・・・

他にも景行天皇の九州征服説話も

九州倭国の輝かしい業績を

主語を変えて書き直してるんです・・・・

なんか悲しくなりますよね。

わが国の国史の成立が

こんな陰湿な経緯があるなんて・・・・

かくして日本書記は成立しました。

そして古事記は?

そうです。

必要なくなっちゃったんです。

というより古事記とだいぶ内容が違っているので

「存在してはならない資料」になっちゃったんです。

だから続日本紀には古事記の成立記事がないんです。

そればかりか室町時代に

真福寺で古事記の写本が見つかるまで、

700年ぐらいその存在はほとんど知られてなかったんです。

このような経緯があったので

つい最近まで「古事記は後世に作られた偽書だ!」

という説と取る研究者も多かったんです。

それも太安万侶の墓誌の発見で決着がつきましたが・・・

 

えーこれでこのシリーズは終了ッス。

次回から何やるかなぁ・・・・

九州の正倉院でもやるか・・・・

昭和史にするか・・・・

いやいや、まずは越後屋一家のその後ですな♪


ではでは

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Jun 28, 2007 06:36:52 PM
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