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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Aug 28, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

水戸の安ホテルに着きました。

金もないし、ドキドキするようなお店もないし、

やっぱりホテルの部屋でやってます。

 

 

とほほ

「寒さば水煮」の缶詰が一番旨いッス。

 

Pleさんの「古代史よもやま」読んで、

素盞嗚氏の古代史熱がムクムクと

湧き上がってきましたゾ!

 

で、すでに2リットルぐらい呑んでんですが、

「資料批判」と「原文改定」についてやってみます。

以前にも、魏志倭人の考察で

この問題を取り上げたんですが、

今回は隋書を題材に書きます。

最近、あの「日出づる処の天子」たる「タリシヒコ」が、

隋書では「多利思孤」と書かれていることから

「タリシホコ」と読むべきことを書きました。

その隋書で、倭国のことを書いている章を

一般的には「隋書倭国伝」と言わされていますが、

写本、版本を見るとこう書いてあるんですよ。

 

隋書

当用漢字にないし、ココで変換もできないんで、

この字、覚えておいてくださいね。

人偏にスゥーチョンチョンチョンの女、

この字、北朝(隋・唐)音で「タイ」、

南朝「宋・斉・梁・陳」音では「ツイ」って発音するんです。

隋書なんで当然「タイ」と読むんですが、

その意味するところは間違えなく「倭」のことなんです。

それをなぜか「タイ」を書いている・・・・

なぜか?

この問題について各学者はほとんど

検証らしい検証をしてないんですね。

実に簡単に「タイは倭の誤記」・・・

これで済ませてます。

確かに「タイ」と表記されている国は

前後の文章からも「倭国」のこととイコールなんですが、

問題は単純な誤記なのか、

それとも何か意味があって「タイ」と書いているのか・・・・

この考察を省いているのは

これまでの研究者の怠慢と言わざるを得ない!

「隋書タイ国伝」にはこんな記事もあるんです。

タイ

あの金印で有名な「漢委奴国」、

その「委奴国」を

「タイ奴国」と表示してるんです。

この隋書が書かれた遥か数百年前から

中国の識者には確かに認識されていた「倭国」を、

隋書の編者がこの国(倭国)を認識しておらず、

うっかり「倭」を「タイ」を誤記するなんてことは

絶対にあり得ない!

ではどういうことか・・・・

そう、隋書の編者は意識的に

「倭」を「タイ」と表記した!

これだ。

ではなぜ?

文献学を研究する立場の研究者は

このような思考にならなくてはならない。

なぜ、「倭」を「タイ」と表記したのか?

「タイ」とはいったいどういう意味なのか?

素盞嗚氏はこれについて

何年も前から深く考え抜いてきた。

確証はないけど、どうも少し見えてきたんで

これを明かそう♪

 

ううう、

とどめは芋焼酎の水割り(缶)・・・・

出張疲れもあるんで

今日はここまで♪

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Last updated  Aug 28, 2007 11:04:05 PM
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