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素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Sep 5, 2007
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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート

半ば諦めていたのに、

去年から探していたCDをやっとゲットしました!

1976年にレコードデビューした

神戸のサザン野郎、

「アイドル ワイルド サウス」の

唯一のアルバム。

アイドル

KEEP ON TRACKIN!

あのレイナードも唸ったという

デュアン顔負けのスライド、

予想以上にいいアルバムっす。

 

さて、隋書についてです。

隋書ではわが国のことを「タイ国」と表記した。

隋書

前回書いたように隋書の選者「魏徴」は

「倭」を知らなかった、

またうっかり間違えて「タイ」と書いてしまった、

なーんてことは絶対にあり得ないんです。

彼は意識して「倭」を「タイ」と書いたんです。

なぜか?

過去、中国の歴史書で東夷の国を表記する際に

意識的に違う文字を使ったケースがあるかどうか。

まずはこれから検討してみますと、

あるんですね、これが。

ご存知「高句麗」!

これを「下句麗」と表記している例があるんです。

高句麗は常に中国に刃向かってきた、

中国からみたら宿敵の隣国だから、

まず国名を知らずに間違えたことはあり得ない。

これはですね、

にっきく「高句麗」に「高」という字はふさわしくなーい!

そういう思いから「高」を「下」に変えたんです。

この前例からみると「倭」と「タイ」としたのも

同じ理由じゃないか?

そう考えてみると、

思い当たる節がありますよね。

そう、あの「タリシホコ」が隋に対等外交を求めて

発したあのことば・・・・

「日出づる処の天子、

 書を日没する処の天子に致す 恙無きや」

この国書を受け取った隋の天子「煬帝」は

激怒したんですね。

この背景から隋書を撰した「魏徴」は

「高句麗」を「下句麗」と変えた如く、

「倭国」を「タイ国」にしたんじゃないか・・・

では、「倭」と「タイ」はどういう意味の文字なのか、

これが問題ですね。

「倭」は「大人しい」とか、「従順な」って意味なんですが、

「タイ」はズバリ「弱い」って意味なんです。

魏徴はあの従順は倭国が

小生意気に対等外交を求めるとはもっての外!

弱っちぃヤツは黙っておれ!

そんな意味を込めて「タイ」の文字を選んだんだと思うんです。

 

しかーし!

ここでもう一つの問題がある・・・・

「倭」は当時「ゐ」と発音したのに

「タイ」は「たい」・・・・

「音」が随分違うんです。

通常だと似たような「音」の文字を選ぶのに

なぜ「ゐ」と発音していたものに「たい」の音の文字を選んだのか・・・

これが素盞嗚氏の長年の疑問だったんです。

ちょっと苦しい展開だけど、

日本書記を読み返していて、

「大唐」の文字を見て、閃いちゃったんです♪

 

おっと10時だ。

仕事仕事・・・・

 

瀬島龍三さんのご冥福を祈りながら、

SEE YOU NEXT TIME






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Last updated  Sep 5, 2007 09:56:55 AM
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