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テーマ:日本の歴史(1070)
カテゴリ:古代史レポート
昨日長野から帰って、 今日は長崎でちゃんぽん喰ってきました♪ きったなーい場末の中華屋、 先代の味をかたくなに守っきたきた店。 旨かったぁ・・・ ちゃんぽんはつまみになるんですねぇ、 中ビンで4本もいっちまいました♪ 今はホテルでブラックニッカでくらくらしてます。
日食? 日本食堂? えしぇ・・・・えしぇしぇ・・・ 脳がたれてきました・・・
んと、 紀元前250年から紀元250年までに 観測された皆既日食はあったのか? 場所は、素盞嗚氏が高天原と想定している 壱岐・対馬周辺で。 調べてみるとね、 この500年で1回しかないんです。 コイツです。 それは紀元前206年7月6日、 実線の双線が皆既日食の観測できたところで、 点線は金環日食のポイントです。 日本列島内では観測できてないんです。 観測できたのは半島南部、伽耶地方です。 もし天照大神の天岩戸神話が 日食をモデルとしていたと考えるなら、 その地は列島ではなくて、 朝鮮半島南部の伽耶地方だったってことになるんです。 ・・・・・ ちと、酔いが醒めてきました♪
素盞嗚氏は、天照大神の活躍した地を、 壱岐・対馬と考えていたんですが、 その中心地は伽耶地方だった可能性がでてきたんです。 予想GUYです・・・ わが国の祖は朝鮮から来た・・・・ いったいどういうことなのか・・・・ 壱岐・対馬がその祖地ではなかったのか・・・・
ここは呑んだくれてる場合ではなーい! 冷静に考えみよう。 もう一度整理してみると、 わが国の皇祖天照大神が活躍した 高天原はどこにあったのか。 古事記を分析する限りでは、 それは壱岐・対馬である、素盞嗚はそう考えていた。 以前検証した通りです。 しかし天照大神の天岩戸神話が 皆既日食をモデルとしているなら、 その地は半島南部の伽耶地方ということになる。 さてどうしよう・・・・ ここはこの皆既日食のあった 紀元前200年前後の 東アジアの情勢を調べてみる必要がありますね。 ・・・・ まー調べることばっかりッス。
おっと、いけねぇ、 ブラックニッカがなくなっっちまった。 ちと買ってきます♪ SEE YOU NEXT TIME お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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